しかしながら、その罪と罰の意味、および作品が描こうとしているテーマを考えることには確かな意義があり、だからこそ『かぐや姫の物語』は面白い物語になっていると思うのです。その理由を記していきましょう。
「あのコピーのおかげで僕は迷惑している」とまで言ってきた
鈴木敏夫プロデューサーは、「宣伝をめぐって高畑監督とキャッチコピーで揉めることになった」と告白しています。引用しておきましょう。つまり、「姫の犯した罪と罰。」のコピーは高畑監督の企画書および原作である『竹取物語』に書かれたことを踏まえた、あくまで宣伝のための文言であり、「やろうとしたことはあったけど、実際にはできなかったテーマ」なのです。僕が考えたコピーは「姫の犯した罪と罰。」というものです。高畑さんが最初に書いた企画書にも書いてありましたし、そもそも原作のテーマでもある。それ以外にはないだろうと考えていました。ところが、高畑さんに見せるや、また顔色が変わった。そして不機嫌そうに、「最初にそう考えたのは事実です。でも、そのテーマはやめたんですよ」と言います。
(中略)
その後、制作がだいぶ進んでから、高畑さんが「あのコピーのおかげで僕は迷惑している」と言ってきたんです。昨今は宣伝コピーといえども、映画を見に来るお客さんの心理に一定の影響を与えている。それを踏まえると、「姫の犯した罪と罰。」というコピーに作品を寄せなければいけない。仕方がないから、台詞を足すことにしたというんです。「そのことは覚えておいてください」と念を押されました。そして、インタビューを受けるたびに、高畑さんは「あのコピーは間違っています」と言い続けました。
『ジブリの教科書19 かぐや姫の物語』 より
一方で、コピーに寄せるため本編にセリフを足したと高畑監督は明言しているので、完全に間違っているものとも言い切れないでしょう(そのセリフが具体的に何であるのかは、はっきりしないのですが)。
「プロローグ」と呼べる部分に「罪と罰」は確かに書かれていた
その企画書において、「姫の犯した罪と罰。」は、なるほど確かにはっきりと書かれていました。この文言にのっとれば、かぐや姫の「罪」とは「以前に地上に降り立った女性の記憶を呼び覚まして苦しませたこと」であり、「罰」とは「その地上に降ろされたこと」だったのです。(前略)
(地上の)人間に関しては否定的に語られたにもかかわらず、かぐや姫には地球がひどく魅力的なところに思えただけでなく、女がほのめかす人間の「喜・怒」や「愛」どころか、「哀」にさえ心惹かれ、どうしても行ってみたくなる。
禁を破って帰還女性の記憶を呼び覚ましたことが発覚し、姫は、地上の思い出によって女を苦しめた罪を問われる。そして罰として、姫は地球におろされることになる。だがそれはかぐや姫にとって願ってもないことだった。姫は勇んで地球に旅立つ気になっている。
『ロマンアルバムエクストラ かぐや姫の物語』企画書「かぐや姫の物語」より
ただ、この企画書に書かれたことは、いわば物語の「プロローグ」に当たる部分であり、映画本編では描かれていないことです。しかも、かぐや姫自身は、その罰のはずの地上に行くことを楽しみにしていたので、やはり宣伝のコピーである「姫の犯した罪と罰。」と同一視はしにくいでしょう。



