ヒナタカの雑食系映画論 第195回

『秒速5センチメートル』主演・松村北斗だからこその「到達点」。実写化の意義を感じた5つのこと

実写版『秒速5センチメートル』が素晴らしい作品でした。主演の松村北斗を筆頭に、実写化の意義を感じた5つのポイントを解説しましょう。(ポスタービジュアルは公式Xより)

3:原作から変わった構成、そして付け加わった描写は

原作の上映時間が63分だったのに対して、実写映画の本作は121分と、ほぼ倍のボリュームになっています。

原作からアレンジされた要素はたくさんありますが、中でも大きいのは、原作が「短編3作のオムニバス」だったのに対し、今回の実写映画は「現在の物語が回想シーンと並行して描かれる」という長編映画向けの構成になっていることでしょう。
現在と過去を行ったり来たりする、やや複雑な構成になったことに賛否がありそうですが、これは理にかなったアレンジであるとも思いました。

例えば、過去と未来の「同じような場面」を続けざまに示すことで、「心が決定的に変わってしまった」という残酷さが際立つ効果を生んでいます。具体的には、幼少期の貴樹と明里、高校時代の貴樹と澄田花苗(森七菜)が「一緒に帰る」ことが、「対比」として示されていることに注目するといいでしょう。

さらに、原作で多用されたモノローグも最小限に止まり、周りのキャラクターの関係性から心理を想像させる場面も多くなっています。原作のモノローグの痛切さも『秒速5センチメートル』の魅力でもあったので、そこを実写でカットするのは勇気が必要だったことでしょう。しかし、それもまた生身の俳優の力でこそ心理を語る実写映画向けの調整として、正しいと思えました。

そして、アニメから付け加えた描写はたくさんありますが、中でも重要なのは「科学館」のシーンでしょう。例えば、最近では『星つなぎのエリオ』でも引用された、実在する「ボイジャー計画」がその科学館で紹介されており、登場人物たち同士の「心の距離」ともリンクする「遠い遠い旅」を表現しています。

さらに、「ノストラダムスの大予言」を意識したとある言及、その後のプラネタリウムのシーン、さらにはラスト近くの「今の関係の変化」のそれぞれで、やはり松村北斗の演技もあってこそ、原作の「その先」の物語として、深く心に染み込むような感覚があったのです。

また、現在の貴樹が「30歳を目前にしている」という設定も強調されており、その年齢に伴う物語の切実さも増していました。もちろん年齢とは突き詰めればただの数字であり、究極的には気にする必要のないことかもしれませんが、それでも年齢の「節目」に何かを考えてしまう、というのも人の常でしょう。このおかげで、「アラサー世代」にこそ、より強烈に「刺さる」作品にもなっていました。

あえて、難点を言うのであれば、幼少期と現在の物語には追加された描写が多いのに対して、高校時代には少ないことでしょうか。3つの物語のボリュームが均等だった原作に比べて、実写映画でのバランスがやや極端に感じてしまうのは、致し方のないことかもしれません。

4:原作の再現にとどまらない、カメラワークの工夫も

そのように大胆なアレンジがある一方で、原作へのリスペクトもはっきり感じられますし、それでいてアニメをトレースするだけではない、実写ならではの表現も光る内容にもなっています。

例えば、公式サイトのプロダクションノートでの「原作のカメラワークを一覧表にし、分類し、統計化した132ページにわたる資料を用意」してこその「アングル、画角、人物配置に込められた意図を徹底的に分析し、踏襲すべき要素は最大限に再現するよう努めた」という記述からは、気が遠くなるほどの執念を感じさせます。

さらには、「貴樹の心が次第に閉ざされていく変化を表現するために、子ども時代から青春期は手持ちカメラによって流動的で風が通っているような空気感を捉えて、大人になると、フィックス(固定)カメラを多用し、無機質に観察するように撮っていった」という工夫もあったのだとか。

なるほど、大人になって日常が「無味乾燥」になってしまうという、これまた多くの人が共感し得る心理を、やはり実写ならではの工夫した画でこそ表現しているのです。
さらに、2008年当時の新宿の街並みを甦らせるためCGやVFX、美術は「本物」としか思えないほど。当時の携帯電話やタクシーの車種、さらには幼少期での公衆電話などの時代考証が行き届いています。

さらに、重要なモチーフである「桜」と「雪」も繊細なVFXで表現されており、それぞれに「作り物」感がいっさいないからこそ、「あの頃の切ない思い出」に、共感しながら浸ることができるはずです。

5:新海誠監督の優しさが、今届けられるという意義

公式サイトで、原作者である新海誠は、このようにコメントしています。

あらためて、『秒速5センチメートル』は奇妙な物語です。
たいしたドラマツルギーもなく、胸のすく活劇もなく、ヒーローも悪役もいない。
皆が理由もなく傷つき、傷つけられ、いつもなにかが満たされずにいる。
でも20年前は、その「なにもなさ」が私たち自身の姿であり生活であり、
それを掬いあげるようなアニメーション映画を作ろうと思っていたのです。

この言葉の通りで、『秒速5センチメートル』は派手な展開がほとんどない、スカッとするような物語上のカタルシスもない、ストレートなエンターテインメントの真逆のような、そもそもが好みが分かれる作品だったといえるでしょう。

しかし、その「なにもない」という作品の作りが、同じく「なにもない」と感じることもある私たちの日常や物語とシンクロしていて、だからこそ共感し感動できる、特別な作品になっていたと思うのです。

さらに、新海誠はコメントで、こう告げています。

アニメーション版がその目標に届いていたかは心許ないのですが、
今回の実写映画では当時のその不器用な種が、
青さも含んだままに見事な結実となっていました。
『秒速5センチメートル』を作っておいて良かったと、(ほとんど初めて)心から思えました。

この言葉通りに、新海誠監督の目標は結実していたと思います。なぜなら、『秒速5センチメートル』で描かれたメッセージは、どんな経験をしたとしても、心が傷ついたとしても、それはその人にとって大切なことだった」ということ今回の実写映画を見ればこそ、「どんな苦い出来事があったとしても、あなたはきっと大丈夫」というエールを送ってくれる作品だと改めて思えたから。
それは失恋に限らない、誰しもが生きていれば出会う普遍的な出来事です。そして、「大丈夫」というのは新海誠監督作品の多くで通底するメッセージであり、それを改めて提示する意義は大きいと思うのです。原作のファンにも、そうではない人にも、そのメッセージが届くことを願っています。

※宮崎あおいの「崎」の正式表記は「たつさき」
ヒナタカ
この記事の執筆者: ヒナタカ
映画 ガイド
All About 映画ガイド。雑食系映画ライターとして「ねとらぼ」「マグミクス」「NiEW(ニュー)」など複数のメディアで執筆中。作品の解説や考察、特定のジャンルのまとめ記事を担当。2022年「All About Red Ball Award」のNEWS部門を受賞。 ...続きを読む
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