五輪でも見られた日本人の“手の平返し”
大阪・関西万博といえば、開幕前は「費用がかかり過ぎる」「不人気で参加辞退をする国もでてきた」なんてマイナス情報がメディアで盛んに報じられ、芸能人やインフルエンサーの中でも批判する人が多くいた。これを受け世論もかなりシラけていたし、開幕直前の4月13日にNHKが世論調査をおこなった際に「関心がない」と答えた人はおよそ6割にものぼった。毎日新聞の世論調査にいたっては、「行かない」「たぶん行かない」を合わせてなんと87%にも達していた。しかし、いざ始まってみたら万博は大盛り上がりで会場は大混雑。最近は閉幕を惜しむ声も上がってきた。この見事な“手の平返し”は一体なんなのだ、と首をかしげる人も多いだろうが、実はこれは「東京2020オリンピック競技大会」(以下「東京2020」)でも見られた現象だ。
世界的なコロナ禍であった当時、メディアや専門家も「中止」や「延期」を求めて、五輪反対のムードが高まった。しかし、いざ開幕したらメディアはメダルラッシュを大々的に報じて、人々も連日テレビにかじりついて「感動をありがとう!」と歓喜し、最終的には「やってよかった」の声があふれたものだ。ちなみに、1964年の東京五輪や1970年の大阪万博でも、程度の違いはあれど、同じような“手の平返し”が起きていたことが分かっている。
「熱しやすく冷めやすい」のが国民性?
最初はブーブーと文句ばかり言うけれど、いざ始まったら“そんなことあったっけ”という調子でお祭り騒ぎするという“手の平返し”を、なぜ日本人は幾度となく繰り返してしまうのか。よく言われるのは、「熱しやすく冷めやすい」という国民性が関係しているのではないかという説だ。ダッコちゃん、ルービックキューブ、たまごっち……昭和・平成のブームを振り返ってみても、人気に一度が火がつくと社会現象にまでなるが、ブームが過ぎてしまうと、「ああ、そんなのあったね」というくらい全く見向きもしない。あの熱狂はなんだったのか、二重人格なのかと心配になるほど熱量に“継続性”がないのだ。
その最たるものが「アメリカ文化」である。



