子どものスポーツ離れにも懸念
有料会員のみのネット配信となった場合、どのような課題があるのでしょうか。熱心なファンなら、お金を払ってでも試合を見たいと思うはずです。心配されるのは、テレビでなんとなく見ていたような「ライト層」や、ネット環境に恵まれない高齢者、有料会員登録ができない子どもたちがスポーツから離れていくことです。
9月中旬に行われたプロ野球12球団オーナー会議の後、記者会見した榊原定征コミッショナーは「多くのファンが自由に視聴できる環境をどう確保するかは、日本野球にとって極めて重要な課題」と話し、テレビ局側がNetflixと交渉し、地上波放送とネット配信が並存する必要性を強調しました。
サッカーでもすでに同様の課題が浮上しています。2019年当時、「令和の日本サッカー」と称した特別対談で、DAZNと長期契約を結ぶJリーグの村井満チェアマンに対し、日本サッカー協会の田嶋幸三会長はこう述べています。
「DAZNが出現してどこでもJリーグの試合が見られるようになったのは時代の趨勢(すうせい)ですね。(略)一方で、地上波のテレビ放送のようにお金を払わなくても見られるユニバーサルアクセス権を守ることも僕たちの責任としてやらなければならない」
ネット配信であれば、スマートフォンでもタブレットでもパソコンでも、場所を選ばずに試合を視聴できるようになりました。デジタル時代の高性能な技術も発達し、さまざまな角度から撮影した映像も楽しめる時代です。しかし、田嶋氏が語る「ユニバーサルアクセス権」の議論が日本では高まっていないのも確かです。
ヨーロッパにおけるユニバーサルアクセス権とは
ユニバーサルアクセス権とは、全ての人が自由に情報に接する権利を意味します。イギリスでは政府が国民の関心の高いスポーツ大会を指定し、無料の地上波で視聴できるよう法律で定めているのです。指定される大会のリストは2つに分かれ、グループAは無料での地上波放送、グループBは有料放送を認めるものの、地上波でハイライト・ダイジェスト番組の無料放送を義務付けています。
グループAには、五輪・パラリンピックやサッカーW杯・女子W杯、競馬のダービー、テニス・ウィンブルドン選手権(決勝)、ラグビーW杯(決勝)などが指定されています。グループBには、テニス・ウィンブルドン選手権(決勝以外)、ラグビーW杯(決勝以外)、世界陸上、ゴルフ・全英オープンなどが挙げられています。
近年は個々の趣味や好みも多種多様です。そのような中で、国民がこぞって観戦するスポーツは限られているかもしれません。けれども、地上波での無料放送がなくなれば、子どもたちがスポーツに出会う機会も減り、将来的には競技の普及に影響が出てくることでしょう。
思い起こせば、2年前のWBC決勝で大谷選手がアメリカの強打者、マイク・トラウト選手を三振に仕留めて優勝を決め、グラブを放り投げて喜びを爆発させたシーンは、私たちの記憶に深く刻まれるものでした。
そのような光景が減っていくことは寂しい限りです。今こそ、社会にとって何が大切かを議論する時ではないでしょうか。 この記事の執筆者:滝口隆司
社会的、文化的視点からスポーツを捉えるスポーツジャーナリスト。毎日新聞では運動部の記者として4度の五輪取材を経験。論説委員としてスポーツ関連の社説執筆を担当し、2025年に独立。著書に『情報爆発時代のスポーツメディア―報道の歴史から解く未来像』『スポーツ報道論 新聞記者が問うメディアの視点』(ともに創文企画)。立教大学では兼任講師として「スポーツとメディア」の講義を担当している。



