2:広瀬すずと二階堂ふみの「対決」
本作の物語の発端は、大学を中退して作家を目指す女性・ニキが、長崎で原爆を経験して戦後にイギリスに渡った母・悦子の半生を作品にしようと思いつく、というもの。そこで悦子が語り出すのは、戦後間もない長崎で出会った女性・佐知子と、その幼い娘と過ごした思い出でした。 その思い出話の中で特に興味を引くのは、悦子と佐知子というキャラクターの「対比」です。悦子は結婚して妊娠中で生活も安定しており穏やかな一方で、佐知子はどうやら生活に困窮している様子。それでいて「近いうちに米兵と一緒にアメリカへ渡る予定」と明るく言い放ったりもします。真っ当な友情を築きながらも、互いに「自分にはないものを持つ存在」として相手に嫉妬を含んだ複雑な感情を抱いている……この2人の関係のスリリングさに惹きつけられる物語なのです。
また、悦子の夫・二郎の父・誠二が福岡からやってきて、彼は息子と将棋をすることを楽しみにしたりする、悦子以上に穏やかな常識人に見えるのですが……実は「長崎に出てきた本当の目的」を秘密にしていたりもします。
3:映画でも「記憶」を再現した
1950年代の長崎の光景を、「本当にその時代にいるような」画で再現したことも本作の美点であり、それこそが映画化した最大の意義と言えます。徹底的なリサーチが行われた美術や衣装、VFXで作りこんだ風景、それらを含めての「空気」さえも、実際に映像を見てみると「本物」にしか見えないのです。 原作者のカズオ・イシグロは、5歳まで長崎で過ごしていたのですが、その時の記憶がないわけではなく、むしろ「心の奥に刻まれた風景や感覚は、むしろ鮮明で、今でもはっきりと思い出すことができます」と答えています。しかも、小説『遠い山なみの光』を書き始めた最初の動機は「この記憶と想像の入り交じった日本が全て消え去ってしまう前に、小説の中に再現することで守り、大切に取っておく」ことだったそうです。映画でも同様に、作り込まれた画で、その記憶を再現することに主眼を置いているといっていいでしょう。
さらに、福間美由紀プロデューサーからも、原作にない映画オリジナルの設定がいくつか提案され、チームで議論が重ねられたのだとか。それは、当時妊娠していた長崎の悦子に対するニキの関心や共感を高めるために仕掛けられた「ニキの妊娠疑惑」、そして二郎(松下洸平)を昭和の典型的な猛烈社員や妻を抑圧する夫としてではなく、戦争の傷を心身に刻み込み、屈折や哀しみを抱えた人物として描くための「二郎を傷痍軍人にする」、といったことです。
そのおかげで、当時の世界への没入観や、キャラクターの豊かなニュアンス、霧が少しずつ晴れていくような(あるいは深淵に辿り着くような)ミステリー性が強く印象に残ります。福間プロデューサーが「この大切な節目に、大きな事件ではなく、あの日を生きた市井の女性たちのミステリーを通して、今の私たちにつながる物語を描けたのではないかと思います」と自信を持つことも納得の、完成度の高い作品に仕上がったと言っていいでしょう。
この記事の筆者:ヒナタカ プロフィール
All About 映画ガイド。雑食系映画ライターとして「ねとらぼ」「マグミクス」「NiEW(ニュー)」など複数のメディアで執筆中。作品の解説や考察、特定のジャンルのまとめ記事を担当。2022年「All About Red Ball Award」のNEWS部門を受賞。



