それは「母親の責任」なのか
また、別の保護者が言いました。こちらは母親です。「うちの子は小学4年生のときに不登校になりましたけど、そのとき私は、『ぜんぶ自分のせいだ』と思いこんで、自分を責めました」
たまたまドッジボールの練習を見学に行って、わが子の様子で気になったことがあったので、子どもが帰ってきたとき、「あんまり自分勝手なことを言ったりしていたら、友だちができないよ」と注意したそうです。深く考えて、そのうえで注意したわけではなくて、その日に自分が感じたままを子どもに言ったのだそうです。
同じように注意することは、それまでも結構あったといいます。思いついたら注意する、保護者なら誰でも心あたりがあるのではないでしょうか。
また、ある日、学習塾を辞めたいと子どもに言われたとき、子どもには「お父さんと相談してから決めようか」と言ったのに、その日は夫の帰りが遅くて相談できず、子どもに返事ができずに、結論を先延ばしにしてしまったそうです。そういうことも、子どもにとってはストレスになっていたのではないかなど、あとになって悔やまれることが「たくさんあった」と言います。
そういうことが続いて、学校に行ったり行かなかったりの状態となり、最終的には不登校になります。ただ不登校になったとき、学校に行くように注意したり、促したりするようなことはしていません。
理由を訊(き)くと、「子どもが学校に行かなくなったら、無理に行かせようとしないほうがいい、と何かで読んだか聞いたかの知識があったからです」と説明してくれました。その一方で、「一週間か二週間もしたら、自分から行くようになるだろう」との期待もあったといいます。
しかし期待に反して、そのまま不登校が続きました。そうなって、自分の日ごろの言動、そもそも育て方に問題があったからだ、子どもが不登校になってしまったのは自分のせいだ、と自分を責めるようになったのです。学校とか友だちとかに問題があったのかもしれないとはおもわず、ひたすら自分の責任ばかりが頭に浮かんだそうです。
なぜ、保護者が自分自身を責めてしまうのか。それについて、「子どものことについては、まわりからも母親が責められますからね」と言う保護者もいました。
妊娠しているときは、まわりは誰でもやさしくしてくれるものです。「だいじょうぶ?」とか「無理しないでゆっくりね」などなど、やさしい言葉もかけてくれます。
しかし、子どもが生まれて母親になった瞬間に、まわりの目が変わります。「子どもの面倒をちゃんとみなさいとか、なんで子どもにそんなことをさせるの、といったプレッシャーがのしかかってくるのを私は感じました」と、ある保護者は言いました。
そして、「その延長で、不登校も自分の責任だと考えてしまうし、まわりにも『母親のせいだ』とみられているようにおもえました」とも言いました。
子どものことになると、責められるのは父親よりも母親になってしまうようです。そこには、まだまだ「教育は母親の役目」という偏った考え方が強いことも影響しているはずです。そのため不登校についても、父親よりも母親のほうが責任を感じてしまう傾向が強いようです。
悩んでいても誰にも悩みを相談できずに自分だけで抱えこんでしまい、さらに悪い状況に追いこまれてしまうケースも多いのだろうと想像できます。悩んでいれば、保護者の表情が暗くなってしまうのは当然です。子どもが不登校だと知っている人は、気遣って声をかけてくれたりします。
「しかし、『お母さんが元気出さなければダメよ』と言われるのは辛かった。励ましてくれているのはわかっていても、同時に、『自分が責められている』ように受けとってしまうからです」と言う保護者もいました。不登校の親ならではの心境です。 この記事の執筆者:前屋 毅 プロフィール
1954年、鹿児島県生まれ。法政大学卒業。立花隆氏、田原総一朗氏の取材スタッフ、『週刊ポスト』記者を経てフリーに。最新刊『学校が合わない子どもたち~それは本当に子ども自身や親の育て方の問題なのか』(青春新書)など著書多数。



