劇場公開された2021年、コロナ禍での公開にもかかわらず興行収入38.1億円の大ヒットを記録した同作は、見た人が自分の経験と照らし合わせて語りたくなる魅力に満ちた傑作でした。
なぜ『花束』はこんなにも語りたくなるのか?
語りたくなる理由の筆頭は、恋人である2人の障壁になるのが、「恋敵」「病気」「事故」といったビッグイベントではなく、ささいなすれ違いの積み重ねを、「あるある」とさえ言えるリアリズムをもって描いているからでしょう。主人公2人が「本当に“そこにいる人”としか思えない」ほどの実在感も重要でした。何しろ劇中では2015年以降に実在するポップカルチャーに対して多数の言及があり、菅田将暉演じる山音麦、有村架純演じる八谷絹の2人は、それらが共に大好きなオタク同士。ほかにもたくさんの奇跡的とさえ言える共通点がある2人が出会い、最高の時を過ごしていく様は、本当に幸せそうに見えるのです。
そして、ずっと続くと思っていたその関係が、どうして変わってしまい、2人は決定的にすれ違ってしまうのだろう……と、似たような経験をしていた人が(あるいは経験がなくても)主体的に考えられる構図があるのです。
脚本を手掛けた坂元裕二は「あまりよく知らない人のInstagram」や「友達の友達の又聞きの話」を参考にしてストーリーを積み上げていったそうです。
結果的に極めてパーソナルな、どこにでもいそうなカップルの物語になっているのに、いや、だからこそ、ここまで「気持ちが痛いほど分かる」「自分の記憶をこじ開けられて、良い意味でしんどい」と言う人が続出するほど、普遍的な内容になっているのです。
そして、劇中で2人がすれ違う決定打は、シンプルに「麦の就職」という一方で、それだけではないとも思えます。
ここでは、2人が共に「周りから分かりやすく影響を受けてしまう、真面目な良い人」「自分の持っている価値観が強固」であることなどから、すれ違いの理由を分析していきましょう。
※以下からは『花束みたいな恋をした』の結末を含むネタバレに触れています。ご注意ください。