「親が全て先回りをして答えを出す」のは、はっきりとした問題
それでいて、「どうすればよかったか?」のヒントを超えて、一定の「答え」を劇中から見つけられるのも、本作の大きな意義でしょう。筆者が藤野監督の言葉で特に印象に残ったのは、「親が全て先回りをして答えを出すのが一番よくないと思う」でした。 劇中の両親は共に研究者かつ医師だったこともあってか、姉の統合失調症について「自己完結」のような判断をしてしまいます。「親が全て先回りをして答えを出す」という問題は、どの家族にも起こり得るものでしょう。それはもちろん、家族が突如として統合失調症、それ以外でも深刻な病気にかかってしまったり、事故に遭ってしまったりしたときの対応にも当てはまります。 しかし、本作で掲げられた問題はそれだけに止まらず、子どもの進路や将来、もっといえば子どもの気持ち、そして家族の在り方さえも、両親だけで「何かを勝手に分かったような気になる」ことは、とても危険だと改めて認識できるのです。「あっさりさ」こそが残酷で、そしてかつてない感情を呼び起こす
詳細は伏せておきますが、筆者は映画の終盤で、どうしてもあふれる涙を抑えることができませんでした。本作で追っている出来事だけを客観的にまとめれば「あっさりと単純な答えを出してしまえる」とも前述しましたが、劇中ではとある場面で、まさにその「あっさりさ」がこそが、家族が過ごしてきた長い長い時間との対比となり、残酷にも感じてしまう一方で、その後に映し出されたことがこれまでとはまったく異なる感情を呼び起こしたからです。 本作は藤野監督が自ら言うように、撮影も編集もつたないところが確かにあり、そもそもがホームビデオともいえる(実際にホームビデオでもある)映像で構成されています。昨今の洗練された映像で引き込む作品とは対照的な内容です。パンフレットでは編集面での試みとその苦労が語られてはいるものの、実際に出来上がった映像ではセリフが聞き取りにくい場面もあり、(この言葉も不適切かもしれませんが)映像作品としてのクオリティーが気になったことも事実です。
しかし、藤野監督の言葉以上に「見るに値するものが映っている」ことは間違いありませんし、映画館でたくさんの観客と「どうすればよかったか?」を共に考え続ける体験は、今までのどの映画にもなかったものでした。終幕も予想外のもので、さらに複雑な思索を投げ掛けるものでした。 ぜひ、もっと多くの人に「どうすればよかったか?」と、「自分ごと」として考えるためにも、見てほしいです。
この記事の筆者:ヒナタカ プロフィール
All About 映画ガイド。雑食系映画ライターとして「ねとらぼ」「マグミクス」「NiEW(ニュー)」など複数のメディアで執筆中。作品の解説や考察、特定のジャンルのまとめ記事を担当。2022年「All About Red Ball Award」のNEWS部門を受賞。