2024年12月13日、日本の公立小学校を舞台にしたドキュメンタリー映画『小学校〜それは小さな社会〜』が公開されました。この映画は、先行上映されたフィンランドで大ヒット! 4カ月以上もロングラン上映されたそう。日本とはまったく異なる教育を行っているフィンランドの人々に、日本の教育は興味深く映ったようです。
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では、そんなフィンランドの教育とはどのようなものなのか。『フィンランドの高校生が学んでいる人生を変える教養』(青春出版社)から一部抜粋して紹介します。
校則はなく、服装も自由
日本では、髪型や下着の色、靴下の色、スカートの長さまで細かく規定する校則がある。寒くてもコートを着てはいけない、タイツを履いてはいけない、学校から帰宅後、午後4時までは自宅から外出してはいけないなど驚くような校則もある。最近は「ブラック校則」として問題化され、生徒が取り組む校則の改訂が話題になる。「全国校則一覧」というサイトが作られ、様々な「ブラック校則」を検索することもできる。一方、フィンランドの学校に日本のような校則はない。子どもを一人の人として尊重すること、子どもが自分の身体について決定権を持つことは当然のことだからだ。子どもの権利の視点からも、大人による校則の押し付けは不適当である。
フィンランドの学校では18歳以下のタトゥーは禁止されているが、アクセサリーやお化粧なども含めて自由だ。様々な装い方を試みること、自分の身体のあり方を経験すること、装いを通じて自分を表現すること。それらは全て、自分であることの一部だ。
学びに集中できる環境
フィンランドの学校のその他の特長として、学校行事が少ない、入学式も運動会もない、卒業式はあるが、その練習はないことも挙げられる。付け加えると、子どもを1列に並ばせることもほぼない。フィンランドでは、子どもはバラバラと集まって、バラバラと居て良い。事あるごとに子どもを1列に並ばせるのは軍隊式だ。日本の学校行事は、集団行動のための鍛錬の意味が大きい。一糸乱れぬ卒業式や運動会を目指して、練習が繰り返されるのはそのためだ。また、「小学校学習指導要領」には、学校行事について「厳粛で清新な気分を味わう」と書かれている。どういう感情を味わうかまで規定されているのだ。
また、フィンランドには部活や教員の過重労働もない。こうして書くと、ないことだらけのように聞こえるが、不要なものが一切ないシンプルさは快適だ。
日本の学校は、本質的な学びに関わることが少ない一方、子どもに対する介入がとても多い。フィンランドの学校は逆で、学びの質が高い。また些末な事に煩わされ、成長期の貴重な時間や繊細な感情を削られることなく過ごせる場所である。
日本では文科省以下、行政が「学校、地域、家庭」を標語のように使ってきているが、フィンランドには教育に関して地域という概念はない。教育に関わるのは学校と家庭であり、その2つの協働が重視されている。
日本の「地域」は、高度経済成長期を経て70年代頃に出現した概念で、「地域の危機と再生」という枠組みで使われてきた。現在は、「地域の意見を聞いて」「地域と協力して」「地域ぐるみで」などの表現をよく聞くが、具体的に地域が意味するのは、隣近所の人や町内会、自治会、PTA、青少年教育委員、コミュニティスクールなどである。
「地域」は、行政が用意し介入する仕組みであることが多い。日本では、公費を節約しつつ同調圧力を増す「地域」が教育に利用される傾向がある。一方フィンランドでは、教育に関わるのは専門知識を持つ人である。専門知識を持たない地域住民が、教育に関わることはない。