「All About」鉄道ガイドの野田隆が解説する。
(今回の質問)
東京駅にはなぜ11~13番線がないんですか?
(回答)
東北新幹線のホームを増設するなど、駅の発展にあたり、消えてしまった。
東海道新幹線開業前の東京駅
東京駅は、1964年の東海道新幹線開業までは、1番線から15番線まで欠番なしに並んでいた。そしてそれぞれ、1・2番線=中央線
3番線=京浜東北線北行き
4番線=山手線内回り
5番線=山手線外回り
6番線=京浜東北線南行き
7番線~15番線=東海道本線および横須賀線
といった形で使用されていた。
このうち、11番線はホームがなく、線路だけ。これは「機回し線」といって、ブルートレインのような機関車けん引列車が到着後に、機関車を連結しなおして進行方向を変えて出発するためのものだった。また、15番線の八重洲側にも線路のみの16番線が通っており、これも「機回し線」であった。
その後、さらに八重洲側に東海道新幹線のホームが新設。ホームの片面だけを使用した17番線、ホームの両面に線路がある18番線&19番線が登場した。
東海道新幹線の増設で駅に変化が
1967年、東海道新幹線増発にともない、片面だけしか線路がなかった17番線ホームの丸の内側に、16番線が追加された。ホームのなかった在来線用(機回し用)の16番線が新幹線用となったのである。当時、機関車けん引列車の数は減っていたので、特に問題にはならなかった。 その後も東海道新幹線の増発はとどまるところを知らず、さらにホームを増設することとなった。といっても、八重洲側はビルなどがあって東に建設することは不可。よって、在来線のホームをつぶして新幹線ホームとすることに決まった。横須賀線は地下に移り、東海道本線もホームでの停車時間の長い長距離列車は減っていたので、ホームを減らしても問題ない状況であった。これらを踏まえ、在来線に代わり東海道新幹線の14番線&15番線が新設された。ホームが北側で大きくカーブしているのは、将来、東北新幹線が乗り入れてきたときに備えてのことだった。
一方、11番線は機回し線であり、乗車する立場から見ると違和感があった。そこで、機回し線に付番された番号を削除し、既存の12番線を11番線、既存の13番線を12番線と扱うことで違和感を解消した。しかしその結果、逆に13番線が欠番となってしまった。
東北新幹線が乗り入れ、11番線が欠番に
1991年には、東北新幹線が東京駅に乗り入れを開始した。この際に、東海道本線のホームを削って東北新幹線のホームを新設。11番線&12番線として東海道本線が使っていた線を、再び12番線&13番線としたことで、11番線が欠番となった。だが、元々は機回し線だったので、元に戻ったともいえるだろう。しかし、東北新幹線はホーム1つでは心もとない。東海道新幹線ホームのうち、14番線&15番線はもともと東北新幹線乗り入れに対応するために造られたため、「せめて片面だけでも使わせてほしい」とJR東日本はJR東海に交渉したのだが、拒絶。このあたりから、JR東海とJR東日本の関係はぎくしゃくしたものとなっていく。
新1・2番線の誕生と12・13番線の消滅
1997年には、さらに在来線のホームを削って東北・上越新幹線ホームを増設することになるのだが、さすがにこれ以上東海道本線ホームを減らすことはできない。そこで考えたのが、中央線ホームを当時のホームの直上に高架で新設し、新たな1・2番線とすること。そして、残りのホームを1つずつ丸の内側に移設することだった。これにより、旧1番線が3番線、旧2番線が4番線……旧8番線が10番線、ということになった。しかし、ここで1つ問題があった。東北新幹線の新ホームを、既存の12番線&13番線に加えて10番線&11番線とすると、10番線がダブってしまうのだ。かといって、JR東日本がJR東海に番線の付番を変えるように頼むわけにもいかない。付番を変えれば、それなりに手間と経費がかかりぎくしゃくとした関係だけにうまくいきそうにもない。 そこで、あえて東北・上越新幹線乗り場(のちには北陸新幹線も乗り入れ)を20~23番線の4つとしたのである。こうして、11~13番線は欠番となった次第である。
この記事の筆者:野田隆
名古屋市生まれ。生家の近くを走っていた中央西線のSL「D51」を見て育ったことから、鉄道ファン歴が始まる。早稲田大学大学院修了後、高校で語学を教える傍ら、ヨーロッパの鉄道旅行を楽しみ、『ヨーロッパ鉄道と音楽の旅』(近代文芸社)を出版。その後、守備範囲を国内にも広げ、2010年3月で教員を退職。旅行作家として活躍中。近著に『シニア鉄道旅の魅力』『にっぽんの鉄道150年』(共に平凡社新書)がある。
名古屋市生まれ。生家の近くを走っていた中央西線のSL「D51」を見て育ったことから、鉄道ファン歴が始まる。早稲田大学大学院修了後、高校で語学を教える傍ら、ヨーロッパの鉄道旅行を楽しみ、『ヨーロッパ鉄道と音楽の旅』(近代文芸社)を出版。その後、守備範囲を国内にも広げ、2010年3月で教員を退職。旅行作家として活躍中。近著に『シニア鉄道旅の魅力』『にっぽんの鉄道150年』(共に平凡社新書)がある。