ヒナタカの雑食系映画論 第104回

ドラマ版『ブラック・ジャック』は困惑の実写化? “女性化”が「許せない」「納得」それぞれの理由

実写ドラマ版『ブラック・ジャック』(テレビ朝日系)は放送前のニュースはもちろん、本編を見た人からも賛否両論が噴出しました。ドクター・キリコの“女性化”を筆頭とした注目ポイントをまとめて解説しましょう。(サムネイル画像出典:テレビ朝日公式Webサイト)

原作のエピソードのテクニカルな再構成

個人的にまず称賛したいのは、原作の複数のエピソードの再構成がテクニカルで面白いことでした。特に大きく抽出されたのは、以下の5つです。

1話『医者はどこだ!』
31話『獅子面病』
51話『ふたりの黒い医者』
104話『タイムアウト』
140話『落としもの』

感心したのは、それぞれの要素が“呼応”していたり、先が気になるミステリー的な“引っ張り”も備えていたりするなど、長編の映像作品としての起承転結がしっかりと作られていること。

エピソードをただ並べるだけでは散漫になってしまいそうなところを、実業家の「医者はどこだ!」を基点として、「善良な研修医が親友の自殺の知らせに納得できず、そのことに関わっていそうなブラック・ジャックに近づく」という大きな物語の軸を用意して、他の原作のエピソードを絡めていくプロットは巧みでした。

事実、原作者である手塚治虫の公式Webサイトには、脚本家の森下佳子さんが、今回の1本の実写ドラマとしてまとめるにあたって現在読むことができる『ブラック・ジャック』の全240エピソードをリストアップし、丹念に精査したうえで何本かのプロットを作成、そこから最高の形を模索したと記されています。

実は、2005年のアニメ映画『ブラック・ジャック ふたりの黒い医者』も、ドクター・キリコをメインキャラクターに据えて、『ふたりの黒い医者』『タイムアウト』を含む複数のエピソードを再構成するという、今回のドラマと似たコンセプトでしたが、そちらに比べ、今回の方がエピソードの選定や構成がより洗練されている印象を得ました。合わせて見ても面白いでしょう。
 

ただ、その今回の実写版ドラマ版の構成も「ブラック・ジャックを悪人のようにミスリードしているけど、見る側は良い人だと分かりきっている」「原作のエピソードのツギハギに思えたから、1本のオリジナルストーリーの方が見たかった」という否定的な声も上がっています。これは人それぞれの好みによるところが大きいでしょう。
 
ブラック・ジャック ふたりの黒い医者
ブラック・ジャック ふたりの黒い医者

“女性化”の意味は感じられたけど……?

さらに感心したのは、ドクター・キリコの“女性化”に、物語上の意味合いが十分に感じられたことでした。“獅子面病”を患い、キレイゴトをいくら並べ立ても絶望から逃れられない女性の苦しみを聞き、「ごめんなさい。辛い事を言わせて」とドクター・キリコが抱き寄せる様は、なるほど患者と同じ女性だからこそ、大きな説得力が生まれていると思えたからです。

朝日新聞に掲載された、飯田サヤカプロデューサーへのインタビューでは、今回のドクター・キリコについて「海外で安楽死をサポートする団体には、なぜか女性の姿が多い印象があった」「脚本の森下佳子さんと相談しているうち、『優しい女神』のような存在が、苦しむ人のそばにいて死へと導くのかもしれない、と想像するようになった」と、改変の理由が語られており、その言葉通りの方向性を目指したキャラクターだと理解できます。

ただし、その改変が原作ファンからの批判を大いに浴びています。例えば、ドクター・キリコは原作の181話『小うるさい自殺者』で「自殺の手伝いなどできるかっ」などと“自殺ほう助”を否定していますし、他エピソードでも「元軍医で死ねないケガ人をウンザリするほど見た」「安楽死を選択肢には入れているが、一方で『命が助かるに越したことはない』とも考えている」キャラクターであるので、やはり今回のように「容姿への絶望(と夫との関係)による自殺願望を理由に安楽死をさせようとする」のは「解釈違い」だと怒る人も多いのです。

さらに批判を浴びているのは、「せっかく助けた妻と、彼女に対して身体も捧げると言った夫が共に事故で死んでしまう」という後味の悪い結末に対して、ドクター・キリコが「バカみたい私たち、あんなにジタバタして、なんだったの?」と「グチをこぼす」こと。原作の『ふたりの黒い医者』のラストで、ドクター・キリコは「生きものは死ぬ時には自然に死ぬもんだ、それを人間だけが無理に生きさせようとする」と語った直後に、そのイデオロギーの証明のように「高笑い」をしていたはずなのに、それとは全く違う反応にガッカリしてしまう人がいるのも当然でしょう。

ただ、筆者個人としては、劇中でドクター・キリコが「やめておきましょう、それはご夫婦でちゃんと話せば解決できることです」などと「患者の意思を聞いた上で安楽死をやめる」選択をしようとしたのは、なかなか考えられたバランスだったと思います。原作のドクター・キリコも「大切な人をもう苦しませたくない」患者の意思を聞いていますし、「患者の気持ちに寄り添う」「絶対に安楽死を勧めるわけではない」「しかしもっと尊重するのは患者の意思である」というのは、現代的な(もちろん日本ではまだ違法である)安楽死へ議論にも近いものだと思えたのです。

また、今回のドクター・キリコも「放っておけば死にゆく運命の個体を、力ずくで生き返らせるのは人間だけよね」と言うなど、原作にあった信念そのものは、十分に描かれていました。その見た目の髪のボリュームが過剰なことも気になりましたが、石橋静河は求められるだけの演技を見せていたとも思います。
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ドクター・キリコの改変以上に違和感を覚えたところ
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