「私」「僕」「俺」など、日本語の一人称はバリエーションが多いことが特徴です。使う一人称によって、相手に与える印象も異なるため、仕事などの公の場とプライベートで一人称を使い分けているという人も多いのではないでしょうか。
今回は、現役フリーアナウンサーの酒井千佳が一人称の数や種類について詳しくご紹介します。一人称をもっと知りたい、創作活動の参考にしたいと考えている人はぜひお役立てください。
<目次>
・一般的に用いられる一人称の種類
・主にカジュアルな場面で用いられる一人称の種類
・特定の職業・立場の人が使う一人称の種類
・方言でよく聞かれる一人称の種類
・かっこいい一人称の種類
・昔使われていた一人称の種類
・日本語に多くの一人称が存在する理由
・翻訳において一人称の使い方が重要な理由
・一人称の種類に関するよくある質問
・まとめ
一般的に用いられる一人称の種類
まずは、広く一般的に使われている一人称の種類と使い方についてご紹介します。・私(わたし)
「私(わたし)」は、もっともポピュラーな一人称で、次にご紹介する「わたくし」のくだけた言い方です。友人とのカジュアルな会話から、ビジネスシーンまで幅広く用いられ、男女問わず使うことができます。「僕」や「俺」よりもかしこまった印象があるため、オフィシャルな場や目上の相手との会話では、男性でも「私(わたし)」を使うことがマナーとされています。
・私(わたくし)
「私(わたくし)」は、「わたし」よりも丁寧な印象を与える一人称です。こちらも男女関係なく使用できますが、日常的な会話で聞かれることは少なく、面接やスピーチ、演説など、あらたまった場面で用いられることがほとんどです。「私」は、もともとは「おおやけ(公)のこと」に対する「個人のこと」という意味がありましたが、室町時代以降に一人称として使われるようになりました。
・俺
「俺(おれ)」は、主に男性が使う一人称です。古くは二人称として目下の相手を指す言葉でしたが、室町時代以降に一人称として使われ始めました。江戸時代ごろは、身分や性別にかかわらず使われていたとされていますが、現代ではカジュアルな場面で男性が使う一人称として知られています。
・僕
「僕(ぼく)」は、年代を問わず主に男性が使う一人称です。「僕」という漢字には、「しもべ、めしつかい」といった意味があり、古い時代は自分をへりくだる一人称として使われていました。
一人称としての「僕」は、「古事記」で既に登場していましたが、当時は「ぼく」ではなく「やつがれ」と読みました。「ぼく」という読み方で使われ始めたのは江戸時代末期とされており、吉田松陰が使っていたことで幕末志士の間に広まったという説もあります。時代が進むにつれて、身分を問わず男性の間で用いられるようになりました。ビジネスシーンで使用しても違和感はないものの、「私」に比べるとややカジュアルな印象を与えます。あらたまった場面では、「私」を使うほうがよいでしょう。
主にカジュアルな場面で用いられる一人称の種類
次に、プライベートでの会話やカジュアルなシーンで用いられる一人称をご紹介します。・あたし
「あたし」は、「私(わたし)」のくだけた表現です。主に女性が使う一人称で、創作作品などにおいては「気の強い女性」や、いわゆる「オネエ」のキャラクターに採用されているイメージが強いかもしれません。また、江戸時代~明治時代の下町文化が強く反映されている落語では、男性の登場人物も自分を「あたし」と呼んでいます。
・あーし
「あーし」も、「私(わたし)」が変化した一人称です。かなりくだけた印象があり、創作においては「やんちゃな性格」や「ギャル」の女性キャラクターに用いられることが多いでしょう。
・うち
「うち」は、主に女性が用いるカジュアルな一人称です。家の「内(うち)」が由来とされており、もともとは京都・大阪をはじめとした関西で使われていました。2000年以降のギャルブームなどをきっかけに、現在では地域を問わず広く用いられています。
・おら(おいら)
「おら(おいら)」は、「俺(俺ら)」から派生した一人称とされており、主に男性が使います。マンガやアニメの人気キャラクターが使っているイメージが強いかもしれません。使用者は高年齢層がほとんどですが、エリアを問わず全国各地で用いられています。
・わし
「わし」は、「私(わたし)」が変化したものです。マンガなどの創作作品では、「長老」や「博士」などのキャラクターが用いており、「年配の男性が使う、カジュアルな一人称」というイメージが強いかもしれません。「わし」は江戸時代に西日本で使われ始めた言葉とされており、現在も西日本では高年齢層を中心に広く使われています。また、一部の地域では男性だけでなく、女性でも「わし」を用います。
・わい
「わい」は、「わし」のくだけた表現です。大阪周辺で使われている言葉で、「わし」よりもさらにフランクな、男性の一人称として位置付けられています。近年はインターネットの掲示板やSNSにおいて、「ワイ」とカタカナ表記で用いるケースがみられます。
・自分
「自分」は、明治時代以降に使われ始めた一人称です。もともとは書き言葉でしたが、徐々に話し言葉としても用いられるようになりました。当時は軍人の間で使われていたため、男性の言葉というイメージが強いかもしれません。近年は一人称のバリエーションとして性別を問わず浸透しており、アスリートなどには「自分」と呼ぶ人が多くみられます。
・自分の名前
自分の名前を一人称として使うケースもあります。小さな子どもに多くみられ、自分のことを「◯◯くん」「◯◯ちゃん」と言ったり、呼びやすく省略して一人称に用いたりします。幼児語というイメージから、成人が使うことはほとんどありません。
特定の職業・立場の人が使う一人称の種類
続いては、特定の職業や立場の人が用いる一人称についてご紹介します。・当方
「当方」は、「自分のほう」「こちら」という意味があります。「私」のように個人を意味するものではなく、「自分が属するチーム・組織・会社」を指す一人称です。ビジネスなどのフォーマルな場で用い、プライベートの会話では使いません。
・拙僧(せっそう)
「拙僧」は、僧侶が自分自身をへりくだって呼ぶ一人称です。「愚僧」「野僧」も同じ意味で用いられます。
・本職
「本職」とは、公務員・役人などが職務で用いる一人称です。
・当職
「当職」とは、弁護士や司法書士、税理士など、「士業」が用いる一人称です。士業以外の職業で使うと誤りになるため、注意が必要です。
方言でよく聞かれる一人称の種類
ここからは、方言で聞かれる一人称をご紹介します。・おい
「おい」は、「おれ」が変化したもので、主に男性が使う一人称です。鹿児島、佐賀、長崎など、九州地方の一部で用いられています。
・あたい
「あたい」は、「私(わたし)」が変化した一人称です。東京の下町や花柳界の女性が使っていたほか、古くは鹿児島方言などにもみられたものです。昭和時代には、ドラマに登場する「不良少女」の一人称としてよく使われていました。
・わて
「わて」は、「私(わたし)」から変化した「わし」がさらにくだけたものです。かつては大阪・京都を中心に、性別を問わず用いられていましたが、近年は高年齢層の一部に使用者がみられる程度で、日常的に使う人は少なくなっています。
かっこいい一人称の種類
続いては、かっこいい印象を与える一人称を2つご紹介します。・吾輩
「吾輩(わがはい)」は、もっぱら男性が用いる一人称です。明治時代の創作作品では、しばしばみられる表現です。尊大な印象を与える言い回しで、近年の言葉に当てはめると、「俺様」に近いイメージです。
・小生
「小生(しょうせい)」は、男性が自分をへりくだる意味で用いる一人称です。手紙などでみられる書き言葉で、目上の相手に使うことは失礼だとされています。近年は、マンガなどで自分を「小生」と呼ぶキャラクターもみられるため、創作の分野では話し言葉としても受け入れられやすいでしょう。
昔使われていた一人称の種類
ここからは、古い時代に用いられていた一人称をご紹介します。・妾(わらわ)
「妾(わらわ)」は、女性が使う一人称です。子どもを意味する「童」に由来しており、もともとは「子どものように未熟な者」というニュアンスで、自らをへりくだる意味がありました。時代が進むにつれてへりくだる意味が薄れ、武家の女性が目下の相手に対して用いるようになりました。創作作品などでは、女王やお姫様の一人称として使われることもあります。
・あちき
「あちき」は、近世の遊女が用いた一人称で、江戸時代に栄えた吉原遊廓特有の「廓言葉(くるわことば)」の1つです。廓言葉は、地方から集められた女性たちの方言やお国訛りを隠すために使われていました。
・拙者
「拙者(せっしゃ)」は、近世において、武士や医者など、地位のある男性が使った一人称です。「拙」は、「つたない、上手でない」という意味があり、謙遜のニュアンスがありますが、尊大な態度で使うケースもみられました。創作作品などでは、忍者や侍などが使う、やや古めかしい一人称というイメージが強いかもしれません。
・まろ
「まろ」は、平安時代以降の一人称で、身分や性別、年齢にかかわらず用いられていました。創作の分野では、平安貴族のようなキャラクターの一人称として使われることがあります。
・余(予)
「余(よ)」または「予」は、平安時代頃から男性が用いていた一人称です。フォーマルな場で使われることが多い一方、尊大な印象を与える表現でもありました。
・朕(ちん)
「朕(ちん)」は、天子・天皇・帝王の一人称です。古い時代の中国では、身分などを問わず広く使われていた一人称でしたが、秦の始皇帝から天子のみが使える表現となりました。日本でも、天皇が自らを指す言葉として「朕」が用いられた時代がありました。
日本語に多くの一人称が存在する理由
ご紹介してきたように、日本語における一人称のバリエーションは非常に豊かです。一人称が多い理由については、はっきりと結論づけられていないものの、いくつかの説があります。今回は、日本の文化・社会と一人称の関連性に着目した説を2つご紹介します。・社会的地位や人との関係性を重視するから
1つは、「全体に対する個」のように、自分自身が置かれる環境によって自己認識が変わる、日本人ならではの感覚が関係しているという説です。英語の一人称が「I(アイ)」のみであることからも分かるように、欧米は絶対的な個人主義の意識が強くあります。一方、日本人は個としての感覚を持つと同時に、「共同体の中にある自分」、すなわち社会的地位や人との関係性も重視する傾向があるとされています。
例えば、社内のプレゼンでは「私」、上司と話す時は「僕」、親しい友人の前では「俺」、家庭では「お父さん」というように、「自分」の立場や役割、あるいは状況や場面によって一人称を柔軟に変えることからも、その傾向が見てとれます。集団の中で「自分をどう見せるべきか」「どう見せたいか」を考え、一人称を選択しているのではないか、という考察もあります。
・宗教的に多様性を認めてきたから
宗教的な多様性が影響しているという説もあります。唯一神を信仰するキリスト教やイスラム教の世界では、自然を「克服するもの」「人間に支配されるべき存在」として対立的に捉えています。
一方、日本の神道の世界では、人は「大いなる大自然の一部」であると捉え、自然と調和・融合する価値観があります。「八百万の神」のように、森羅万象に神が宿るという考え方は、あらゆる存在を否定・対立することなく受け入れる精神性の醸成にもつながっています。その精神文化が日本語にも反映され、多様な一人称をもたらしたのではないかとも考えられています。
翻訳において一人称の使い方が重要な理由
英語など、異なる言語を日本語に翻訳する場合にも、一人称の使い方が重要となります。一人称を何にするかによって、その人物から受ける印象は大きく変わるでしょう。・一人称によって両者の立場を表すことができる
日本語は、相手との関係性で一人称を変えることから、両者がどのような立場であるかを一人称によって示すことができます。この場合、敬語や丁寧語といったその他の言い回しも大きく関係しています。
・一人称によって職業や身分を表すことができる
先述したように、日本語の一人称の中には特定の職業や身分を持つ人物のみが使用できる表現があります。例えば「朕」や「余」は王様や君主、「本官」なら警察官など、一人称はその人を形成する1つのピースとなり得ます。
一人称の種類に関するよくある質問
最後に、一人称に関して寄せられる2つの質問にお答えしていきます。・Q. 女性が使えるかっこいい一人称は?
「かっこいい」の認識は人それぞれですが、創作の分野において、ボーイッシュな女性キャラクターは「僕」や「俺」を使うケースが多くみられます。性別を反映しにくい一人称という意味では、「私」や「自分」などが挙げられるでしょう。
・Q. 日本語の一人称には何種類ありますか?
日本語の一人称について、正確な数を把握することは難しいでしょう。現代で使われているものだけでも10種類以上、古代の一人称まで含めれば100種類以上ともいわれています。
まとめ
一人称は、性格や役割、立場など、その人のキャラクターを表す手段の1つです。他の言語と比べても、日本語の一人称の数は群を抜いて多いといわれています。その背景には、日本独特の価値観や宗教観、精神性など、文法や理論だけでは説明しきれないさまざまな要素が影響していると考えられています。一人称から垣間見える、日本語の神秘に思いを馳せてみてはいかがですか。■執筆者プロフィール 酒井 千佳(さかい ちか)
フリーキャスター、気象予報士、保育士。
京都大学 工学部建築学科卒業。北陸放送アナウンサー、テレビ大阪アナウンサーを経て2012年よりフリーキャスターに。NHK『おはよう日本』、フジテレビ『Live news it』、読売テレビ『ミヤネ屋』などで気象キャスターを務めた。現在は株式会社トウキト代表として陶芸の普及に努めているほか、2歳からの空の教室「そらり」を主宰、子どもの防災教育にも携わっている。