江戸時代、毎年11月17日に将棋三家とされる大橋本家・大橋分家・伊藤家が江戸城で将軍に将棋を披露していたことに由来しています。
今回は将棋の駒に王将と玉将がある理由など、「違いの分かる人」になれる将棋の豆知識をご紹介します。
どうして「王将」と「玉将」があるの?
将棋は相手の王将を取るゲームですが、駒をよく見ると片方は「玉将」になっていて、公式戦では対局する棋士のうち格上が王将、格下が玉将を使います。王将が2つだとややこしいから片方に点を加えて玉将にした、と思いがちですが、実は逆。元々は両方とも「玉将」だったんです!
将棋の起源は、古代インドのボードゲーム「チャトランガ」とされています。それがタイに伝わって生まれた「マークルック」がさらに日本に伝わり、現在の将棋へと発展していきました。
チャトランガは王を取り合うゲームでしたが、マークルックは財宝を取り合うゲーム。将棋はその影響を受けて、宝石を意味する玉を付けた「玉将」をはじめ、「金将」や「銀将」、今の将棋にはない「銅将」など、重要な駒は財宝に例えて名付けられました。
奈良の興福寺旧境内跡から出土した日本最古の駒は平安時代のものですが、その中にも玉将しかなく、王将が作られたのはそれ以降。一説によると、あの豊臣秀吉が「争うべきは宝石ではなく王様。そして王様は1人でいい」と考えて片方を王将に変えさせたともいわれています。
なお、西洋のチェスや前述のマークルックなど、チャトランガを起源とする世界のボードゲームのうち、相手側から取った駒を自分側の駒として再使用できるのは日本の将棋だけです。
もしかしたら、「大将だけ王様(再利用できない)で、その他は宝石(再利用できる)」という駒の作られ方が、この再利用ルールの成り立ちに影響しているのかもしれませんね。
王将より強い!? 最後に廃止された駒「醉象」
時代が進むにつれてマス目や駒の種類が増えて、そしてまた次第に簡略化したものへと洗練されていき、戦国時代には今の将棋より1種類多いだけの「小将棋」が一般的になったとのことです。一時期、江戸時代には「大局将棋」と呼ばれる36×36マスで804枚の駒を使うものまで誕生したことも。
「小将棋」から現在の将棋になるときに、最後に廃止された駒、その名も「醉象(すいぞう)」はとても特徴的で、真後ろ以外の全方向に1マス動けて、敵陣に入ると「太子」に成り、王将と同じく真後ろにも動けるようになります。
ここからが本番。太子は王様の子どもなので、太子がいれば王将が取られても負けにならないという特殊ルールが発動! 太子が次の王として後を継ぐことになります。ドラマチックですね!
ただ、現在の再利用ルールにおいては、相手の醉象を敵陣に打つことで太子を簡単に作れてしまうことが省かれた理由ではないかといわれています。
もしも再利用ではなく醉象の方を残していたら、現在の将棋はここまで奥深いものになっていなかったかもしれませんね。
史上最強!? 全てを焼き尽くす激ヤバ駒「火鬼」
さまざまな駒が誕生した将棋の歴史において、最強との呼び声が高い駒「火鬼(かき)」。名前からしてすごそうですが、その動きはどのようなものなのか?
なんと、全方向に1マス動ける状態で3手移動できる上に、縦と斜めなら制限なくどこまでも動けます(自分を中心とした7×7マスのどこにでも移動できる+縦と斜めはそれ以上も行ける)! そしてさらに! 移動した先の自分の周りにある駒を「焼く」ことで総取りできるんです!
先手2六火鬼、全焼き! ヤバすぎる……!
しかもこの「全焼きバリア」は常時発生しているので、相手の方が隣に来た場合も取ることができます。異世界に転生した藤井聡太八冠でも秒で投了するレベルのチート能力! 江戸時代の人、はしゃぎすぎだって!
さすがにゲームが壊れてしまうからか、醉象と同じく現在の将棋には採用されず、歴史の闇に消えていきました。
とはいえ派手で見応えがあるので、“観る将”にとっては面白い駒かもしれません。ぜひ将棋の日だけでも「スペシャル対局! こちらだけ醉象と火鬼を追加して藤井八冠に挑んでみた」とかやってほしい……!
日本将棋連盟さん、ご検討お願いします!
この記事の筆者:石川 カズキ
1984年沖縄県生まれ。筑波大学人間学類卒業後、会社員を経て芸人・作家・コピーライターに。エレキコミック・ラーメンズを輩出した芸能事務所トゥインクル・コーポレーション所属。第60回宣伝会議賞コピーゴールド受賞、LOFT公式YouTubeチャンネル『コントするイシカワくん』シリーズのコント台本・出演、KNBラジオCMコンテスト2020・2023協賛社賞受賞など。お仕事あればお気軽にご連絡ください。AIから仕事を奪うのが目標です。