理系母さんの息子(中学3年生)は支援級に在籍しているが、現在では日常生活のサポートはほぼ必要なくなり、特別支援のない一般の高校を目指せるほどに成長したという。
しかし、現在に至るまでの道は決して平坦ではなく、周囲から否定されたりバカにされたりして、母として苦しい思いをした時期もあったそうだ。紆余(うよ)曲折ありながらも、「わが子はすごく自己肯定感の高い子に育った」という理系母さんの子育てや信念について話を聞いた。
>前編:わが子は「元自閉症」。理系研究職の母が、子どもの“自閉症診断が外れる”までにやったこと
否定され続けた幼少期
理系母さんの息子は、3歳のときに医療機関で自閉症スペクトラムの診断を受け、発達検査では約1年半の遅れがあるという結果が出た。当時は会話がほとんどできず、興味のあることにしか反応しない子だったという。「保育園のお迎えのとき、息子よりも小さな子がすらすらと今日の出来事を親に話している姿を見て、何も話してくれない息子の手を引きながら帰っていたときの不安な気持ちは、今も忘れられません。
幼少期の子育てで1番つらかったのは、息子の素晴らしいところを私がどんなに主張しても、誰にも認めてもらえなかったこと。『ただの自閉症の子のこだわり行動でしょ』『好きなことばっかりやらせているからダメなんだよ』という感じで、とにかく否定され続けていました。
研究者という仕事柄もあって、息子の状態を冷静に観察できる目線がまだあったからよかったものの、途中で前向きさを失っていてもおかしくなかったと思います」
「自分以外の力」を借り、仕事と育児を両立
しかし、理系母さんは「自分だけでわが子をなんとかしなくては」とは思わなかった。「息子が自閉症だと診断されたとき、子どもの成長のために親ができることには限界があると考えました。親だけが時間をかけなくても、生活のなかで、息子が成長できる機会があれば良いのではないか。そのためには、人の力を借りたほうがむしろ効率的だと思ったんです。
特別なことをしなくとも、日常の中で成長につながる工夫全てが療育になると考えていたので、息子のために仕事を辞めるということは一切考えませんでした」
近隣になかったことや仕事の都合もあり、いわゆる「療育施設」には通わず、小学校に上がって放課後等デイサービスの利用を始めるまでの間は、月1回の言語訓練のみに通った。
「通勤時の移動時間などを使って一週間を振り返り、息子が現時点でできていることや今の課題、できるようになってほしいことなどを考える時間に充てていました。
保育園のときは、その日やったことを撮影した写真を自宅のプリンターで印刷して、絵日記に貼って園に持参し、加配の先生と会話の練習をするのに役立ててもらいました。
小学校になってからも支援級の先生と放課後等デイサービスの先生に『こういう声掛けをしてほしい』など、可能な範囲でお願いできることを頼んでいました。あとは、自分の古くからの友人やその子どもに協力してもらい、子ども同士が一緒に遊ぶときに働きかけてもらったり。
勉強は知育アプリやタブレット教材、息子への声掛けにはAIスピーカーも使うなど、人だけでなく『デバイス』にもたくさん頼りました」
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