「将来どうなるんだろう」と、わが子の優れたところよりも「今できていないところ」にばかり目がいってしまい、焦る日々を送っている人も多いかもしれない。
筆者もその経験を持つ1人だ。現在4歳の息子は2歳の終わり頃に、自閉症スペクトラムの診断を受けた。現在は幼稚園と並行しながら、療育(児童発達支援)に通っている。
>後編:否定されたこともあったけど……数学者を目指す「元自閉症」息子の自己肯定感を、母はどう育んだのか
「元自閉症の息子」を持つ母との出会い
わが子が診断を受け、先の見えない子育てに疲弊する日々の中で、とあるブログが心の励みになっていた。ブログ名は「理系母の療育と自閉症児の成長の記録」。そこには、研究職として働く「理系母(仮)」さんが、3歳で自閉症と診断された息子のために行った、発達指数(DQ)が大幅にアップした過程が書かれており、他の育児ブログとは一線を画す内容だった。
2023年に入り、更新されていた記事を読んで驚いた。理系母さんの息子がが自閉症と診断されてから約10年。とうとう「自閉症の診断が外れた」と書かれていたのだ。
ブログの運営者である「理系母」さんにコンタクトを取ったところ、「わが家のケースはあくまで1つの事例で、『こうすれば自閉症が良くなる』という正解はないと思っています。ただ、私たちの実体験が、お子さんの発達に悩む保護者の方々のお役に少しでも立つのなら」とした上で、取材を引き受けてくれた。
理系母さんが行ったコミュニケーションや学習面などの工夫について、話を聞いた。
発達指数を大きく伸ばした、独自の療育目標
理系母さんの息子は3歳のときに保育園からコミュニケーションなどの問題を指摘され、発達検査を受けたところ、自閉症スペクトラムと診断された。当時は、同年代の子どもと比べて約1年半の遅れがあるという結果で、3〜8歳までは療育手帳(知的機能の障害を伴う人を対象とする手帳)の交付対象にも該当していた。息子が4歳のときに理系母さんが取り組んだのは、数十ページにわたる自作の「療育目標」だった。生活・言語・対人関係など、社会生活において必要なスキルを洗い出して対策を考え、開始日と達成日を記入していったという。
「当時は『自閉症は治らないもの』と聞いていたので、とにかく『親が死んでも、1人で生きていけるような力を身につけさせること』を1番に考えました。
研究開発の仕事では『できないことをできるようにするにはどうしたら良いのか』という考え方をします。それと同じように、問題解決思考で、今できないこと・できるようになってほしいことを分野別にひたすら洗い出し、対策を思いつくだけ考えました」
例えば、「冷凍食品をチンして食べる」「洗濯物を洗濯機に入れる」など、比較的簡単なところから取り組んだ。コミュニケーションの部分では「短くていいから会話ができる」「ほんのちょっとでも、今日のできごとを報告できる・自分のことを話せる」といったところをまずは目指したという。
理系母さんの息子は現在中学生だが、学業に支障はなく、得意な数学に関しては「5」を取るほどだという。しかし当時、勉強に関する優先順位は低かった。
「生活に直結するスキルや、最低限の人付き合いのスキルをあとから身につけさせるのはかなり大変なので、小さいうちから練習させておく必要がある。一方で学力は、遅れてもいくらでも取り戻せると考えていました」
>自閉症息子の「コミュニケーション力」を育んだもの