開幕以来、愛され続ける理由
2014年にアメリカで初演、2016年からは日本でも劇団四季が上演している『ノートルダムの鐘』が現在、京都で上演中。『レ・ミゼラブル』と同じくヴィクトル・ユゴーの小説を原作とした文芸大作で、開幕以来、熱烈なファンの多い作品です。
舞台版は小説に基づいているため、アニメーション映画版とは異なる悲劇的なストーリーとなっていますが、それにもかかわらず“鐘”の愛称で親しまれ、SNSでもしばしば話題に上がる理由とは? 初演以来、主人公のカジモドを演じ続ける俳優・飯田達郎さんに、ご自身の体験を通して感じる本作の魅力を伺いました。
【あらすじ】15世紀末のパリ。ノートルダム大聖堂の大助祭フロローに育てられた“鐘撞きーもまた彼女に魅了され、この出会いが4人の運命を大きく変えてゆくことに……。
300回以上もカジモド役を演じ続けて
「この作品はアメリカやオーストリアなど、世界のあちこちで上演されていますが、僕は初演から300回以上カジモド役を演じていて、この前演出家に“間違いなく、君が世界で1番やっているよ”と言われました。誇りに思います」とほほ笑むのは、2023年で劇団四季在団16年目となる飯田達郎さん。赤ん坊の頃から鐘楼で暮らし、“純真無垢(むく)”そのもののカジモドを、独自の研究を踏まえながら演じてきたそうです。
「彼の素直さのヒントとして、自分自身、子どもの頃にどういうものが楽しかったか、どういうものに興味を示したかを思い出して、カジモドと結び合わせる作業をしました。
また、入団した時から(劇団四季創立者の)浅利慶太先生や先輩方に言われてきた“舞台上でいかに透明でいられるか”ということも、常に意識しています。役の前で透明であること、作品をお届けすることは演劇の基本だと思うのです。
本作では演出家から“役として、その時に感じたように演じて、それが真実であるならばそれでいい“と言われていますので、変わりゆく世の中でその時々の感覚、役者としての進化も反映させながら、カジモドの思いが届くといいなと思っています。
もう1つ、カジモドは生まれつきみんなと違っているということの表現として、常に体を曲げ、声もかすれさせて演じますが、空想の中では伸びやかな姿勢と声に変化しますので、お客さまが観ていて“今からは空想の中のカジモド”“今、また現実に戻った”とすぐ分かるよう、心がけています」
そう、さらりとおっしゃいますが、“常に体を曲げ、声もかすれさせて演じる”のは並大抵のことではないはずです。
「確かに、腰と首への負担はものすごいです。毎日、帰宅するとすぐお風呂に浸かって体の巡りを良くしたり、ストレッチやはり治療なども行います。声についても、かすれた声で喋っていて、空想のシーンでは普通の声で歌って、それが終わるとまたかすれた声に戻るので声帯はかなり疲労すると思います。この季節であれば加湿をしたり、喉に良いといわれるのど飴をなめたりといろいろ試しています」
でもフィジカルな部分より、しんどいのは“心”なのだそう。
「この作品は1482年のお話ですが、マイノリティーであるカジモドのストーリーを通して描かれているのは、21世紀の今も変わらず人間が持ち合わせてしまっている、自分と違うものを受け入れられない感覚であったり、見た目や主観で物事を判断してしまう感覚。いわば人間の核の部分に触れていることで、物語が進んでいくにつれ、苦しさが増していきます」
カジモドが祭りの日の一件を機に愛や希望、そして絶望を知り、驚異的な速度で精神的な成長を遂げて行く一方で、エスメラルダに言い寄り、拒まれたフロローは一転、彼女を“魔女”とののしり、ジプシーたちを排斥しようとします。“弱き者”たちの奮闘むなしく、捕らえられたエスメラルダは……。全てを目撃したカジモドは、曲がっていた背中を伸ばし、フロローに立ち向かいますが、これは彼の空想を表現したものかというと……。
「あそこでのカジモドは本当に、曲がっていた骨をばきばきとへし折って立ち上がっています。演出家からは、あの行為がもしかしたらカジモドにとっては致命的だったのかもしれない、と言われました。でもそうまでして、カジモドは何かを訴えたかったのでしょうね。あの場面では無我夢中ですが、ふとわれに返ってカジモドが“僕が愛した人たちは皆……”と発するせりふには、彼なりの悲しみや責任感、喪失感があふれていて、何とも言えないですね」
彼の希望を摘み取ってしまう張本人のフロローも“僕が愛した人たち”の1人であることが悲しい、と飯田さん。
「厳しくはされたけれど、カジモドなりにフロローとの楽しい時間はあったと僕は思っています。だからやっぱり、彼に対しても愛情はあったのではないかな。そう思うと……なんという(残酷な)作品でしょうか……」
ラスト5分の“とても深い”ある演出
クライマックスを経て、観る者の心はどんどん締め付けられてゆきますが、ラスト5分ほどの、シンプルなのにとても深い、ある演出が、全てを“解放”してゆきます。
「あれは本当に驚愕(きょうがく)の演出で、お客さまの心も浄化されると思いますし、役者たちもあの瞬間に、何かが体からふっと抜けていく感覚があります。僕もカジモドとして最後のせりふを喋ると、魂が抜けていくというか、それまで彼から借りていた魂を返すことで、何か一緒にふっと抜けて、疲れというのはその瞬間になくなります。疲れよりも満足感、充足感の方が勝って、何度やってもまだ足りない、早くまたやりたいと思ってしまう。僕に限らず、出演者全員がこの作品を特別に感じています」
左右からステージを見下ろすクワイヤ(聖歌隊)が荘厳さを醸し出す音楽も、この舞台の魅力です。
「クワイヤの存在はとてもありがたいですよね。作品に厚みを増して下さるので、絶対に必要な存在だと思っています。
楽曲は(アラン・メンケンによる)アニメーション映画版のものが使われているのですが、そのエンドロールだけに登場していた『サムデイ』という曲が、ここではメインテーマになっていて心憎いんです。“いつか、人々が互いを認め合える日が来るように……”といった内容の曲で、“いつか”をラテン語に変換した“オーリム”という言葉がオープニングに登場し、同じ旋律が最後にまた登場します。『ライオンキング』の『サークル・オブ・ライフ』同様、メインテーマがリンクしていて、その作りも美しいし、キャッチーな旋律に乗ったこのメッセージがきっとお客さまに響いていると信じて演じています」
ことさらこの作品は僕らと観客全員で“共有している”感覚が強いです、と飯田さん。
「本作の前提として、会衆たちが劇中劇を演じているというコンセプトがあるのですが、実は観客も“会衆”だと僕らは捉えています。オープニングでは何も波が立っていない凪のような静寂の中、鐘がコン、と鳴ってクワイヤが繊細に“オーリーム……”と歌い出しますが、その空気感というのはほかでもない、お客さまが作って下さるものなんですね。鐘が鳴ることで心にふわーっと波が立ち始める、あの瞬間が僕はたまらなく好きです。
ラストの演出もそうですが、この作品には鐘以外にセットはほとんどなく、人間が全てを表現し、皆さんに想像していただくというのも特色です。人間の力というものを存分に感じていただけると思いますし、いろいろな感情に圧倒され、最後に悲しみとも喜びともつかぬ涙が流れる。あの感覚は『ノートルダムの鐘』でないと味わえないんじゃないかと思います」
<公演情報>
劇団四季『ノートルダムの鐘』上演中~4月9日=京都劇場、5月14日~8月6日=JR東日本四季劇場[秋]
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