変化を好まないおじさんたち
「おじさん」を連呼するのも気が引けるが、分かりやすい記号として使っているだけで、個々のおじさんに恨みはない。
「うちの父親を見ていて思うのは、おじさんは変化を好まないということ。誰かが新しいことをしようとすると、『前例がない』と言い出すのはだいたいおじさんですよね。父は以前、母が大学に学士入学するのを大反対したんです。母はずっとパートで働いてきたけど、私が成人したのを機に学士入学しようとしていた。父は『その年で大学に入って何になるんだ』『意味がない』『みっともない』って。私と姉が父を説得したんですが、父は『親戚には内緒にするのが条件』と言い張った。姉と私は大笑いしましたよ。妻であっても、彼女の人生をあなたが支配することはできないと、徹底的に父に叩き込みました。それでも多分、今もわかってないと思いますけどね」
ユミコさん(35歳)は、かつての家庭のやりとりを話してくれた。当時、母は50歳になったばかり。どうしても学びたいことがあったのだ。だが父は、母の年齢や世間体、さらには母が学生になることで起こる何らかの変化を恐れたのだとユミコさんは言う。
「うちは4人家族のうち3人が女性ですからね。姉と私が成長していく過程で、子どもたちは制御しきれないと思ったんでしょう。でも母にはいつも上から目線だった。そんな母に、私たち姉妹がずっと『我慢しつづけるのはおかしい』と言い続けてきたんです。父は暴力はふるわなかったけど、母に対して、これはモラハラだと思うことは多かった」
それからも折に触れて、姉と彼女は父のゆがんだ認知を指摘してきた。最近、70歳になったばかりの父は、友人の息子がセクシュアリティについてカミングアウトしたという話を聞き、少しショックを受けたようだ。
「久々に家族が集まったとき、父が珍しく『どう思う?』と尋ねてきたんです。それはそのまま受け止めるしかないでしょうと、母も姉も私も言いました。『だよなあ』と言うので、父も少し進歩したかと思ったら、『あいつも長男がそんなことになって、かわいそうになあ』って。ダメだと3人で顔を見合わせました」
変化を受け止められないのと同時に、自身の狭い常識以外のことを認める器量が足りないのかもしれない。あらゆることに対して、これはこういうものだという決めつけや価値観をもっているのだろう。自らの価値観に疑いを持たないのは、自身の視野の狭さを披露しているようなものなのに……。
「父世代はもう無理かもしれないけど、中にはわかっている人もいますよね。私の勤務先の会長は父と同世代ですが、あらゆることに敏感で鷹揚で、受け止める力がある。会長の甥が社内にいるんですが、自分が10代でLGBTQだと告げたとき、会長は『えーっと、それで?』と言ったんですって。誰にも何の問題もない、きみはきみらしく生きるべきだとも。その話を甥っ子さんから聞いたとき、さすが会長とみんなで話しました」
社会が変わるためには、世代を超えてこういう人が増えていくしかないのだろう。多様性とは、個人のありようを認めることに他ならない。カテゴライズせず、ひとりひとりがひとりひとりを見つめて、存在そのものを認める心のありようが重要なのではないだろうか。
>次ページ:リゾのその他の投稿を見る
【おすすめ記事】
・「夫と妻」から「人生のパートナー」へ、ryuchellの発表に自分を重ねる42歳の「家族のかたち」
・圧倒的な男社会の中で“伝統化”する幼稚な行為の衝撃……ホモソーシャルな「ノリ」の問題点
・脇毛を「剃らない」発信に批判? 女は“見られるもの”で、男は“見るもの”という理不尽な差別
・同性婚の法制化「賛成」は82.2%、反対派は男性50代が多い傾向に――電通「LGBTQ+調査」
・女子高生制服のスラックス、どう思う? 高校生男女の印象2位は「動きやすそう」、1位は?