分かりやすくキャッチーな「動機」を口にする少女
「母親の嫌いなところや性格に自分も似てきていることが許せなかったので、母親を殺そうと思った。殺された母を弟が見るのはつらいだろうから、母と弟を殺そうと思い、自分がちゃんと人を殺せるか確かめる予行練習のために2人を刺した」。少女が供述する動機は一見、文章として成立しているかのように見えて、論理的にはひどく矛盾し、ボロボロだ。
嫌いな母親に似てきたのは自分だ。そんな自分が許せないからと、母親を殺そうと思う。それを目撃すると弟がかわいそうだから弟も殺そうと考える。だが殺し方がよく分からないから、ちゃんと殺せるよう慣れておくために予行練習の相手を物色し、自分の力でも殺せそうな母娘連れを襲う。取り押さえられたときの、空を見つめた「あの子、死んだ?」には、コミックスやドラマのヒロインかのような自己陶酔すら少々におう。
そういう精神状態を、正常な感覚では「混乱」や「破綻」と呼ぶ。死やすさまじい痛みへの恐怖など、当然の人間的な感覚がまひした、想像力と社会性の欠如が感じられる。だが、こういった人を殺すことがなぜ恐ろしいか、してはいけないことなのか理解できていない少年少女による犯罪は、案外定期的に起こっていることにもふと気づくのである。
専門家の助けが必要だ
背後から深々と刺され、深さ10センチの傷を負った19歳の女の子が路上にぐったりと倒れ込む。53歳の母親は突然自分の娘が包丁で刺されたのを見て絶叫して助けを求め、少女が自分にも振りかざしてくる鋭い刃を揉み合いながら、のたうち回ってよけ、娘を守って幾度も切られ、血を流し、絶叫を聞きつけて表へ飛び出してきた飲食店の男性によって助けられ、少女は路上に押しつけるようにして捕らえられる。
それだけのことを起こしてなお、興奮で震えながら支離滅裂なことを叫ぶでもなく、恐怖の前にすくむこともおびえることもなく、静かに「あの子、死んだ?」が口から出てくる少女に、「ああ、彼女は親子関係や背景がどうという以前に、もともと特殊な傾向を持つ子かもしれない。専門家の助けが必要だ」と直感する人は少なくないだろう。
自分の不愉快・不満の感情だけが視野にあり、他者を傷つけたりあやめたりする衝動を抑えることができない。生き物としての実感を喪失してしまっている。他者の痛みが想像できないとは、自分が感じる身体的な痛みと、他者の痛みを関連づけて考えることが(もう)できないということだ。
通常の少年犯罪は逮捕後、48時間の警察留置を経て、家庭裁判所へ送られる。しかし今回は現行犯であったこと、19歳被害者の傷が腎臓に達するほどの深傷で明確な殺意があることから刑法に触れる殺人未遂事件と捉えられ、15歳少女はさいたま地検へ送検された。
これまでの凄惨(せいさん)な少年事件で「人を殺してみたかった」「本当に死ぬか見てみたかった」と供述した少年少女は、鑑定や分析を経て発達障害などと診断され、医療少年院へ送致されたケースがほとんどである。この15歳少女もまた、発達障害の一つというレッテルで「処理」され、社会から遠ざけられるのだろうか。
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