その雄姿を忘れない。2020年NPB引退選手をプレイバック

例年よりも遅くなりましたが、今季もプロ野球シーズンが閉幕。各チームとも来季のチーム編成に努める時期ですが、同時に別れの季節の到来とも言えます。今季は特に大物投手の現役引退が目立ちましたが……果たしてどんな選手が現役生活に別れを告げたのでしょうか?

松坂世代の大物たちも次のステージへ

大リーグ挑戦後、四国アイランドリーグを経て、阪神でキャリアを締めくくった藤川(写真:アフロ)

野球界にとって、この時期は別れの季節。シーズン終了直後から戦力外通告を受ける選手がいるなど厳しい時期でもありますが……同時に現役生活に別れを告げる選手たちもいます。

今季はコロナウイルスの影響で開幕が2力月以上遅れるというイレギュラーなシーズンとなり、各選手とも調整が難しかったと思われますが、その中でも現役を去る選手は現れました。特に今季は投手の大物の引退が多く、さらには球界を席巻した松坂世代の選手たちのラストイヤーとなることも目立ちました。

その中でも特に注目された今季限りで引退する大物選手を調べてみました。
 

藤川球児(阪神)

昨季までに日米通算243セーブを記録した藤川球児。名球会入りの条件となる通算250セーブまで残り7セーブに迫っていたため、今季開幕前には達成するのは時間の問題と思われていましたが、オープン戦から調子が上がらず不安が募りました。

開幕が2力月ズレたことで一軍入りを果たした藤川は2セーブを記録しましたが、かつては150キロを優に超えたストレートが140キロをギリギリ超えるまでのスピードに落ち、終盤で痛打されるシーンが目立ちました。さらに右上肢のコンディション不良から一軍登録を抹消。そのまま引退という運びになりました。

かつてはホップするように見え、火の玉ストレートと称された直球を武器にした投球でプロ入り6年目ごろからセットアッパー、クローザーに定着。2005年にはウィリアムス、久保田智之とのJFKトリオと呼ばれた強力リリーフ陣で阪神を優勝へと導いたことでも知られています。シーズン終了後には日本シリーズで解説者デビューを果たすなど、第二の人生も順風満帆といった様子です。
 

岩隈久志(巨人)

藤川同様、名球会入りの期待がかかっていたのが岩隈久志。これまでに積み上げてきた勝ち星は日米通算で170勝。2019年に巨人に入団してNPBへ復帰した際はさらなる上乗せが期待されましたが、右肩の故障が原因で昨季は一軍での登板はゼロ。今季も故障に悩まされ続けたままで投げられず、現役引退を決意。

巨人では2年間の在籍で一軍登板はゼロ。二軍でもわずか1試合2イニングしか投げられませんでした。

晩年こそやや物足りなかった岩隈ですが、若手時代は近鉄のエースとして2000年代初頭のパ・リーグで大活躍。中でも岩隈が注目を集めたのが2004年、球界再編で所属する近鉄が消滅する危機に瀕している状況ながら、開幕から勝ち続け、当時の新記録となる開幕投手による12連勝を記録した上でシーズン通算15勝を挙げ、自身初の最多勝に輝きました。

また、岩隈といえば負けない投手としても知られ、日米通算376登板で170勝108敗、勝率はなんと.612というハイアベレージでした。巨人時代は若手指導に精を出していたこともあり、現役引退後は指導者としての活躍が期待されます。
 

五十嵐亮太(ヤクルト)

球界屈指のイケメン投手として大きな注目を集めたのが五十嵐亮太。端正な顔立ちはSMAPの木村拓哉にソックリで、当時の神宮球場には五十嵐を見たいがためにやってくる女性ファンの姿で溢れかえりました。

また、五十嵐自身もそのルックスだけでなく野球選手としての実績も抜群。150キロを優に超える速球と切れ味鋭いフォークを武器にセットアッパーとして定着し、チームメイトの石井弘寿とのコンビは「ロケットボーイズ」と称され、2001年のヤクルトのリーグ優勝に大きく貢献しました。

五十嵐の素晴らしい点といえば、そのタフネスさ。毎年40試合以上投げるのは当たり前で、ヤクルトへ復帰した昨季も45試合に投げて5勝1敗という好成績をマークしたばかり。それだけにコンディション不良に終わったとはいえ、今季は引退登板の1試合のみに終わったというのが驚き。ヤクルトの低迷に直結したともいえるでしょう。

来季からは解説者として活動することが決定。あの明るいキャラクターが試合中継でも見られる日が早くも待ち遠しいです。
 

吉見一起(中日)

今季、8年ぶりにAクラス入りを果たした中日。Aクラス入りを決めた日のヒーローインタビューに立った大野雄大は「弱いドラゴンズはもう終わり」と語り話題になりましたが、8年前、強い中日の象徴となっていたのが吉見一起です。

社会人ナンバーワン投手でありながら右ひじの故障を抱えたままのプロ入りとなった吉見でしたが、当時の落合博満監督のもとじっくりと鍛え直すことで成長。2008年から5年連続で2桁勝利を記録、2010年、11年にはエースとして2年で30勝を挙げ、中日の連覇に大きく貢献しました。

ところが、2013年から吉見は再び故障に悩まされることに。トミー・ジョン手術を施術し復活を期しましたが、以降は安定感を欠くことに。吉見の離脱とともに中日の低迷が始まったとも言えるだけに、2010年代の中日を支えた投手だったといっても間違いありません。
 

またグラウンドで会う日を楽しみに

いかがでしたか? いずれの選手もチームの屋台骨を支えてきた名選手で多くのファンに愛されながら現役を去ることになった名選手たちです。選手としてのキャリアを終えましたが、今後は指導者としてグラウンドに戻ってくることも多いに考えられます。

彼らが再びグラウンドに戻ってくる日を心待ちにして、新たなスター誕生に期待しましょう。

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