西武の背番号3は右のスラッガーの系譜!

偉大な背番号3を背負うことになった山川穂高 写真:AFP/アフロ
偉大な背番号3を背負うことになった山川穂高 写真:AFP/アフロ

プロ野球選手のもう一つの顔とされているのが背番号。中でも一桁番号はチームの顔ともいうべきスター選手が付けるもので、各球団とも一流選手がつけてきたという系譜があります。その中でも特に知られているのが西武ライオンズの背番号3でしょう。

1978年オフに親会社が変わり、翌1979年に誕生した西武ライオンズ。球団創立当時は前身球団であるクラウンライターライオンズの4番打者だった土井正博が付けていましたが、土井が1981年に現役を引退すると、その後は元メジャーリーガーのジェリーが付け、2年後の1986年には鳴り物入りで入団し、4番打者として西武黄金期を支えた清原和博が背番号3を背負ってプレーしました。

その後も大物メジャーリーガーのフェルナンデスや侍ジャパンとしても活躍した中島裕之、2018年に打点王に輝いた浅村栄斗などそうそうたる選手が名を連ねています。

ちなみに1979年の球団創立以来、西武で背番号3を背負った選手はこぞって右のホームランバッターばかり。いわば西部の背番号3の系譜は右のスラッガーの系譜そのものと言えるでしょう。

そんな偉大な背番号を今期から背負うことになったのは山川穂高。プロ入り以来、背番号は33番を背負い、2018年から2年連続で本塁打王に輝くなど球界を代表するスラッガーとして名を馳せましたが……背番号3をつけた今季はどんな成績を残すか注目されています。

そこで、過去に西武で背番号3を背負った選手がどんな成績を残しているか、チェックしてみました。

好成績を残すものの、嫌なジンクスも

検証したのは西武ライオンズが創立した1979年以降に背番号3を背負ってプレーした選手たちの成績。検証したところ、栄光の背番号3を背負ってプレーした選手はこれまでに8名いました。

▼西武の背番号3の選手の初年度成績

選手名 背番号変更年 背番号「3」を背負った年の初年度成績 前年成績(NPB) 獲得タイトル 備考
土井正博 打率.270 27本塁打 70打点(1979年成績) 打率.303 26本塁打 75打点 なし 前身球団時代から背番号3
ジェリー 1984年 打率.243 27本塁打 68打点 なし 助っ人外国人
清原和博 1986年 打率.304 31本塁打 78打点 新人王 プロ入り時点で背番号は3
玉野宏昌 1997年 一軍出場なし なし プロ入り時点で背番号は3
フェルナンデス 2000年 打率.327 11本塁打 74打点 なし 助っ人外国人
マクレーン 2001年 打率.247 39本塁打 87打点 なし 助っ人外国人
中島裕之 2004年 打率.287 27本塁打 90打点 打率.258 4本塁打 11打点 なし
浅村栄斗 2017年 打率.291 19本塁打 99打点 打率.309 24本塁打 82打点 ベストナイン

土井、清原、中島そして浅村と錚々たる面々が名を連ね、それ以外でも元メジャーリーガーのフェルナンデスやジェリーなど絢爛豪華な顔ぶれ。

当然残した成績も一流選手のそれで、低調な成績に終わったのは清原がFAで移籍した直後にルーキーながら背番号3を背負うことになった玉野宏昌のみ。裏を返せば、ある程度実績を残した選手で背番号3を背負った選手なら大崩れがないことが伺えます。

ちなみに今回の山川と同じく、実績を残してから背番号3をゲットした選手のケースとしては中島裕之と浅村栄斗がいます。

どちらも背番号3を獲得してから大成した選手で、中島はこの後最高出塁率を2回、最多安打のタイトルを1回獲得し、浅村も2018年に打点王のタイトルを獲得するなど背番号に恥じぬ成績を残しています。この前例を見ると、山川の今季の活躍も期待できることでしょう。

ただし、清原以降の選手は現役引退まで西武に在籍しなかったというジンクスも。清原が1997年からFAで巨人へ移籍すると、その後を継いだ玉野も2004年オフに中日へトレード。そして中島も2013年にはアスレチックスへ移籍し、浅村も2019年からはFAで楽天に入団するなど土井以外の日本人選手は全員他球団への移籍を経験しました。

この傾向を見ると、山川の今後も気になるところ。今季は山川の成績とともにその去就にも注目してみましょう。