「ひっ算に定規を使え」だと?小学校のヘンな学習ルールに塾講師は…

塾講師時代、「先生、うちの小学校のルールって変ですよね!」と、子供やその保護者から意見を求められた経験が何度かありました。学校によっては、親がびっくりしてしまうような学習ルールを設けているケースも珍しくありません。

塾講師時代、「先生、うちの小学校のルールって変ですよね!」と、子供やその保護者から意見を求められた経験が何度かありました。学校によっては、親がびっくりしてしまうような学習ルールを設けているケースも珍しくありません。

小学校にありがち……意味不明(?)な学習ルール

大人になってから振り返ると、小学校の学習ルールには不思議なものが多々あります。
 

私が小学生の頃には、ノートをとる際に使ってよいペンの色が決められていました。ここ最近でも、「ひっ算の線は定規で引くこと。定規を使わなければ答えが合っていてもバツ」という算数についての学習ルールがSNSで話題になり、「それはおかしい」と批判の声が多く上がりました。
 

文章題を解くときに、「かけ算の順序が逆ではいけない」と教師に言われた話もよく聞きます。「5人の子供にリンゴを6つずつ配りました。リンゴはぜんぶで何個でしょう?」という問題を解く際、その式が「6×5」ならマルですが、「5×6」ではバツという採点基準(その理由は後ほどご紹介します)です。
 

国語であれば、「書き順は守らなければならない」「とめ・はね・はらいはきっちり!」と漢字を厳しく採点される向きがあります。
 

一見「ヘンなルール」にも意図がある?

親にしてみれば不思議なルールも、まったく無意味なわけではありません。ルールとして設定する以上、それなりの理由があるものです。
 

例えば、「ひっ算の線を定規で引く」のは、計算ミスを防ぐ助けになり得ます。実際、途中式の書き方が雑で数字の高さが揃わず、計算ミスしてしまった教え子をたくさん見てきました。
 

かけ算の順序をわざわざ指定するのも「問題文の意味を正しく理解しているか」を確認したいのです。一般的には、(1つ分の大きさ)×(幾つ分)=(幾つ分かに当たる大きさ)という考え方で指導されます。

(一つ分の大きさ)×(幾つ分)=(幾つ分かに当たる大きさ)
(1つ分の大きさ)×(幾つ分)=(幾つ分かに当たる大きさ)の順でかけ算を指導する算数教材


書き順やとめ・はね・はらいも同様にルールを守ることで筆の運びに無駄がなくなり、字のバランスがとりやすくなるメリットがあるのです。
 

意図があっても、正しい指導か否かは別問題

とはいえ、「だから指導として正しい!」という結論にはなりません。
 

実際、塾講師の立場で「ひっ算のときは定規を使おう」と指導することはありませんでした。式を丁寧に書く子供には必要のない作業ですし、式を雑に書く子供の問題が定規だけで解決するかどうかはケースバイケースです。
 

かけ算の順序に関しては、専門家の間でも賛否が分かれますし国によっても違いますが、今後、この順序がより厳密になることは間違いありません。なぜなら、2020年度からの新学習指導要領に向けて、文部科学省が出している「小学校学習指導要領解説」で、かけ算の順序がはっきり指定されているためです。
 

漢字については、「このパソコン時代に、書き順やとめはねはらいまでやる必要ないんじゃない?」と聞かれることも少なくありません。特に書き順は、左利きの人間にはほぼ意味のないもの。そのため、私は「子供に一律に強要するのは間違い」という立場をとります。
 

ただし、字を殴り書きする子供に「丁寧にゆっくり書いて」というあいまいな指示は、なかなか届きません。過去には、字の乱雑な右利きの教え子に「書き順どおりに、とめはねはらいを意識して」と指示し、ようやく読める字を書いてくれるようになったケースもありました。
 

学習ルールにはそれなりの意図があります。しかし、肝心の意図を学校と家庭で共有できていなかったり一律に押し付けたりすると、かえって子供のやる気を削ぎかねません。もし、疑問に思うことがあれば、一度学校と話し合うことをおすすめします。

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