男性Aが男性Bを殴っているとします。Bが「痛い、やめてくれ!」と言っているのに、Aは「いやいや、俺が殴りたいんだから我慢してよ」と言い暴行をやめない――このようなシチュエーションでは、たとえ「殴りたい」という欲求があったとしてもそれを現実の人間にぶつけていいわけがないと、誰もがAを責めるでしょう。被害を受けたBは、心配されます。


 

暴力は絶対NGなのに、なぜ?

しかしこれが男性と女性、特にセックスのシーンとなると、話がガラリと変わります。女性が「痛い、やめて!」と言っても「オトコというのは出さなきゃいけないものだから」という理由でその声が封じられることが多々あります。女性の苦痛が無視され、男性の欲求が優先されるのです。
 

今秋発売された『夫のHがイヤだった。』(亜紀書房)は、夫との性生活が苦痛でしょうがなかった女性の半生記です。セックスのときに痛みが出る現象は“性交痛”といい、多くの女性に起きうることです。しかしこれまで表立って語られることがあまりなかったため、女性はたちは誰も相談できず、「私がおかしいんだ」と自分を責めてきました。著者のMioさんもそのひとり。夫のAVを盗み見ると、女性が歓喜の声をあげている。みんな、こうなの? なんで私だけ違うの?
 

セックスを拒めば、夫の機嫌は露骨に悪くなり、八つ当たりされます。それを避けるために苦痛に耐えながら夫を受け入れ続けました。ベッドの上以外では、人がよくて子どもにもやさしくて、いい夫。夫婦ならセックスするべきだと思い込んでもいました。
 

同意がない性交=レイプとする国も

「性的同意」という語を耳にしたことはあるでしょうか。セックスを含む性的な行為をするときには、相手に「性的な行為をしていいですよ」という同意を確認しなければなりません。イギリスやスウェーデンなど、同意がない性交=レイプと定められている国もあります。ここで関係性は問われません。恋人同士でも同意は必要で「付き合ってるから、当然セックスするよね」ではなく、したい側から相手に働きかけ同意を得ることが求められます。
 

夫婦間も同様です。『夫のH~』の夫にとって、夫婦とは「したいときにセックスできる関係」でした。ついでにいうと、彼にとってのセックスとは「すれば必ず気持ちよくなるもの」。AVにはそうしたセックスしか描かれていないからです。それはファンタジーでしかないのですが、彼は、妻の「痛い」という訴えよりも、慣れ親しんできたAVに描かれていることのほうを信じていました。そうして、「不機嫌になるぞ」という暗黙の脅しを使って妻にセックスを強制し続けました。
 

これはまぎれもなく暴力ですが、当時の彼女にはその認識はありませんでした。しかし夫を受け入れ続けることで、摂食障害を患い、うつ病になりました。暴力、しかも長年にわたる性暴力に心身が悲鳴をあげたのです。
 

#KuToo運動は「大げさ」「甘え」?

女性の「痛い」「つらい」が軽視されるのは何もセックスのシーンにかぎった話ではなく、身近にもたくさんあります。現在「#KuToo」を合言葉に、職場でのハイヒール、パンプスの強制をなくそうとするソーシャルアクションが起きています。そうした靴は足にとって大きな負担となります。履きたい人の自由を損なうものではなく、就業規則などでの“強制”を廃止することを目指すアクションです。
 

しかしこの運動にも、「一日これで立ち仕事はつらい」「外回りをすると足がぼろぼろに」「外反母趾になってしまった」という女性からの訴えを、大げさ、甘えと断定して退ける声をSNSで多く見ました。
 

なかには「女性の足はパンプスを履けるようにできている」という、んなワケあるかい以外の言葉がみつからなくなる発言もありました。ハイヒールのパンプスを履いて仕事をしたことのない男性が、女性の「痛い」「つらい」という訴えを否定するのは理不尽です。「痛くてつらいんだ」という声をそのまま受け止め、「痛くもつらくもならない方法はあるかな」と一緒に考えるのは、そんなにむずかしいことなのでしょうか。
 

俳優 佐藤二朗のつぶやきに感動……

同意に話を戻しましょう。先日、俳優の佐藤二朗さんが、こんなツイートをしていました。

性行為どころか、同じ布団で寝ることに同意を得ようとする姿勢に驚かされました。たった140文字から、夫婦の日ごろの関係がにじみ出てきます。性的同意の話をすると決まって「そんなの無粋だ」という反論がありますが、なんともロマンチックじゃないですか。
 

『夫のH~』のMioさんは、つらいセックスで心身を壊しましたが、心身を満たすセックスを経験して回復していきます。その相手は、人の痛みを受け止め、相手の意志を尊重できる男性でした。その事実から学べることは、男女どちらにとっても多そうです。