平成のサッカー界を振り返る企画。ここでは、2002年から現在までのトピックを取り上げる。サッカーを含めたスポーツの存在価値が問われる時期も経験しながら、スポーツが持つ力を示すこともできた、と言えるかもしれない。
 

企業の業績悪化はサッカーにも…

日本代表のフランスW杯出場の熱気が収まった1998年(平成10年)秋、Jリーグに激震が走る。横浜フリューゲルスの主たる親会社がクラブ経営から撤退し、横浜マリノスへ吸収合併されることが明らかになったのだ。1999年(平成11年)から横浜F・マリノスとなった。
 

同年にはベルマーレ平塚も、主要スポンサーの撤退に直面した。クラブは経営規模を大幅縮小し、市民クラブとして再スタートを切っていく。
 

Jリーグ開幕当初に比べると、各国代表クラスの大物外国人選手も減っていった。大手企業や銀行の経営破綻が相次いだ影響は、サッカーにも及んでいたのである。
 

2002年の日韓W杯で初の16強に

国内景気とは対照的に、活況を呈していくのが日本代表だ。1999年6月のペルー戦で記録された6万7千人超の観客動員は、現在も日本代表の国内開催ゲームで最多である。
 

日本人選手の海外進出も加速する。フランスW杯後に中田英寿がイタリア・セリエAのペルージャへ移籍したのを皮切りに、名波浩、城彰二、小野伸二、稲本潤一、川口能活らが、ヨーロッパのクラブへ移籍していった。
 

選手が経験値を高めて迎えた2002年(平成14年)の日韓W杯では、開催国のノルマとされるグループステージ突破を果たした。フランス人のフィリップ・トルシエ監督のもとで、長期的な強化を進めた成果が現れた。共催国の韓国がベスト4まで勝ち上がったことで、日本の戦いぶりは控えめな印象となってしまったが……。
 

平成生まれの日本代表選手も…

2006年(平成18年)のドイツW杯は、日本サッカーにとって1つの区切りとなった。同大会を最後に中田が現役を引退したのだ。
 

日本代表も世代交代を迎え、2010年(平成22年)の南アフリカW杯では26歳(年齢は当時、以下同)の長谷部誠が主将を任され、23歳の本田圭佑と長友佑都(本田は大会中に24歳に)がスタメンに名を連ねた。また、平成生まれ初の日本代表選手である香川真司が、サポートメンバーとしてチームに帯同した。
 

岡田武史監督が1998年に続いて2度目の采配をふるった南アフリカW杯では、苦戦を予想する前評判を覆してベスト16まで勝ち上がった。大会後には長友や内田篤人らが海外へ移籍し、代表メンバーの多くがヨーロッパのクラブに在籍することになる。
 

東日本大震災、そしてJリーグ開幕25年

スポーツの社会貢献も、平成という時代のトピックにあげられるだろう。2011年(平成23年)3月の東日本大震災直後には、当初予定されていた日本代表の国際試合が、Jリーグ選抜とのチャリティーマッチに変更された。その後も災害のたびに各クラブによる物資の提供や募金が行われ、複数の被災地支援が並行して継続されている。
 

2017年(平成29年)に開幕25年目の節目を迎えたJリーグは、テレビを中心した中継からライブストリーミングサービス(DAZN)による配信へ舵を切る。スマートフォンやタブレットが人々の生活に欠かせないものとなっており、様々なデバイスでいつでも、どこでも視聴できるサービスの提供は、時代のニーズに即したものとの判断だ。
 

2019年の開幕戦では、ダビド・ビジャ(前列左)、アンドレス・イニエスタ(前列左から4人目)がヴィッセル神戸のスタメンに名を連ねた​​(写真:森田直樹/アフロスポーツ)

放映権契約は10年間で約2100億円という巨額で、各クラブにも分配される。それにより、Jリーグ開幕当初のような大物外国人を獲得するクラブが現われている。そもそも資金力の豊富なヴィッセル神戸は、2017年に元ドイツ代表ルーカス・ポドルスキ、2018年に元スペイン代表アンドレス・イニエスタ、2019年にダビド・ビジャを獲得し、Jリーグの歴史でも最強と言っていい外国人トリオを完成させた。
 

“ドーハの悲劇”に匹敵する教訓を得たロシアW杯

ロシアW杯決勝トーナメント1回戦、日本はベルギーに逆転負け(写真:7044/アフロ)

2010年の南アフリカW杯で16強入りした日本代表は、2014年(平成26年)のブラジルW杯に攻撃的な姿勢で挑み、グループリーグ敗退に終わった。4年後の2018年(平成30年)に行われたロシアW杯では、直前に監督が交代するドタバタがありながらも、西野朗監督のもとで3度目のベスト16入りを成し遂げた。
 

ベルギーとの決勝トーナメント1回戦も、後半途中までは2対0とリードした。しかし、最終的に2対3で終わる。後半終了間際の3失点目は、1993年の“ドーハの悲劇”と並んで、平成の日本代表が得た大きな教訓である。
 

昭和生まれの選手が少なくなる中で…

注目の的となっている「三銃士」こと中島翔哉、堂安律、南野拓実(写真:JFA/アフロ)

日本代表は2018年9月から森保一監督に率いられ(彼はドーハの悲劇を知る元日本代表だ)、世代交代を進めている。昭和生まれの選手は、日本代表でもJリーグでも少数派となっている。
 

昭和、平成を経て、令和へ向かう三浦知良(写真:Richard A. De Guzman/アフロ)

そんななかで元気なのが、カズこと三浦知良だ。1967年2月生まれの52歳は、現在もJ2の横浜FCでプレーしている。昭和から平成を経て令和へ向かっていくカズは、サッカー界だけでなく日本社会に活力を与えていると言えるだろう。