血の入れ替えを断行し続けた名将・星野仙一

星野仙一
星野仙一(写真:アフロスポーツ)

1月4日に70歳でこの世を去った星野仙一。「打倒巨人」を標榜して投手として現役14年間で146勝を挙げた実績はもちろん、監督として3球団を優勝に導いた実績でも知られています。


そんな星野監督の最大の特徴と言われているのがトレード、FA補強による血の入れ替え。監督に就いた中日、阪神、楽天は就任前年、いずれも低迷をしていたため、チームを変えたいという意向で選手を多く入れ替えてきました。その中には球界を代表する大物選手も多く含まれています。

そこで、星野監督が獲得した大物選手たちを振り返ってみましょう。
 

星野が獲得した大物選手:落合博満(1986年オフ)

落合
落合博満(写真:ロイター/アフロ)

30年以上たった今でも語り草となっているのが落合博満の獲得劇。当時ロッテに在籍していた落合はこの年、2年連続の三冠王を獲得しましたが、首脳陣との不仲がもとでチームから放出対象になっていました。

当初は巨人とのトレードが濃厚でしたが、巨人が交換相手に生え抜きのスター選手、篠塚利夫(現:和典)を要求されたことで難航すると、そのスキを突いて中日の監督に就任したばかりの星野が主力選手4人も放出するという出血覚悟の大型トレードを敢行。これで2年連続三冠王の落合を獲得しました。

翌87年、中日は前年の5位から順位を大きく上げて2位に躍進。星野監督2年目のシーズンとなった88年にはリーグ優勝を飾り、「星野は慧眼の持ち主である」ということが浮き彫りになりました。
 

星野が獲得した大物選手:宣銅烈(1995年オフ)

星野は91年を最後に中日の監督を辞任しますが、その後中日は再び低迷し、5位に終わった95年オフに再び監督として中日のユニフォームに袖を通しました。就任直後から数多くの選手を補強しましたが、中でも目玉となったのが韓国の至宝、宣銅烈でした。

韓国球界で圧倒的な成績を残した宣は95年オフに日本球界入りを名言。巨人との契約が濃厚とされていましたが、星野は韓国のチームへ支払う譲渡金などを渋っていた球団フロントに働きかけ、移籍金3億円、年俸1億5000万円の2年契約という当時では破格の条件を引き出して宣の中日入団にこぎつけました。

宣は来日1年目の96年こそやや低調でしたが、2年目以降は絶対的なクローザーとして君臨。来日4年目の99年には1勝2敗28セーブ、防御率2.61という素晴らしい成績を収めて、チームをリーグ優勝に導きました。
 

星野が獲得した大物選手:金本知憲(2002年オフ)

2001年オフ、中日の監督を辞任したばかりの星野は同一リーグの阪神の監督に就任します。当時の阪神は、前任の野村克也監督時代を含めて4年連続で最下位に低迷しており、「チームを変えるには星野しかいない」という進言があったことで、同一リーグの敵チームの監督が監督に就任するという異例の人事となりました。

当時の阪神は選手の獲得に高額な費用を支払わない球団として知られていましたが、星野は監督就任直後にオーナーの久万俊二郎に選手補強について直談判。「ここまで低迷したのは、失礼ですがオーナー、全てあなたの責任です」という過激な発言も飛び出すほどだったそうです。

星野のこの発言が効いたのか、星野が監督に就任した直後から阪神は積極的に選手の補強に乗り出すようになりました。そんな中で星野が阪神で得た最大の大物と言えば、広島からFA宣言をしていた金本知憲でした。

多くのチームが接触する中で、金本を最も熱心に口説き落としたのは星野。「プロ野球全体のことを考えてこい」「俺はお前と一緒に歩むようになっている」など、情に訴えかけるようなラブコールを送ったことで金本の心を動かしたとされ、阪神への入団を実現させました。

金本の補強で勢いづいた星野阪神はこの後トレードで下柳剛、メジャーリーグから帰国して自由契約になっていた伊良部秀輝らを立て続けに獲得。翌03年のシーズンは3番に座った金本を筆頭に投打が噛み合い、なんと18年ぶりのリーグ優勝を果たしました。
 

【参考文献】

野村克也著『あぁ、阪神タイガース―負ける理由、勝つ理由』 (角川oneテーマ21)

平岡洋二著『金本知憲の真実―鉄人への道