東急田園都市線で2度の停電…
先日、東急田園都市線で長時間にわたって停電が発生し、通勤客が足止めを食らうなど大混乱を引き起こした。その前にも、田園都市線では電気系統の事故が発生していて、その都度混乱が生じ、利用者はうんざりしている。
事故原因の詳細は明らかではないけれど、原因の一つとして言われているのが「施設の老朽化」である。田園都市線は、比較的新しい路線で、私にとっては、ついこの間開業したような錯覚を覚えてしまうのだが、渋谷~二子玉川間の地下区間(開通当時は新玉川線と呼んでいた)は1977年に開通したので、もう40年になるのだ。その間、沿線人口は爆発的に増え、電車の長編成化、本数の増加など、文字通り休む暇もないくらい密度の濃い輸送を続けてきたのであれば、老朽化と言われると納得してしまう。
「技術力の低下」もあちらこちらで耳する
その一方で、技術力の低下もよく言われることだ。鉄道を維持して行くためには、車両や施設の絶えざるメンテナンスが不可欠であるけれど、それらは、いくら機械化が進んでも、最後は人の手による作業が欠かせない。かつては、神業のような名人芸的な技で修理などをこなした現場の技術者が多数いたものだが、作業が楽になったこともあるのか、複雑な技をこなせる人間が減り、あるいは引退とともに、そうした技術力がしっかりと受け継がれていないとの声をあちらこちらで耳にする。
これは、鉄道だけに限らないのであるけれど、最後は「人の力」であるということを組織が軽視すると、信じられないような事故が起こるのは避けられない。こうした2点が、原因の一つではないかと指摘されるのも、決して的外れとは言えないであろう。
施設の老朽化で、将来的な維持が困難な地域も
同じ時期に、富山県にある黒部峡谷鉄道が来年度から運賃を値上げする旨を発表した。トロッコ列車の運行で知られる人気の観光鉄道であるが、利用者数が減っているのに加えて、施設が老朽化しているため、その補修費を捻出するためのやむを得ない値上げであるとして理解を求めている。
このように、都市部の鉄道のみならず、全国各地で鉄道施設の老朽化が進んでいる。JR北海道では、路線の廃止が相次いでいるが、江差線や留萌本線の末端部の廃止は、絶望的な利用者数の減少に加えて、施設の老朽化がすすみ、早急に補修作業をしなければならないのに、その費用が莫大なので将来的な維持が困難であるというのも理由のひとつであった。
補修作業ができず「制限速度25km」
先日、中国地方の山間部を走るローカル線に乗る機会があったが、ところどころで制限速度25kmという表示があり、低速運転を強いられていた。これも、施設の老朽化がすすみ、補修作業をしなければならないのだが、採算が取れないので、安全運転確保のためやむをえない措置だと聞いた。言ってみれば、だましだまし使っているわけで、崩落などの事故が起これば、列車が二度と走れなくなるかもしれない。
このような状況は各地であたりまえのように見聞きする。ローカル線の多くは、ぎりぎりのところで踏ん張って、観光列車を走らせるなど懸命に増収策に努めているのだが、近い将来立ち行かなくなるのではないかと危惧する。
採算のとれない路線を後回しに…果たして大丈夫か?
鉄道民営化ゆえに、すべてを賄わなければならない鉄道会社は、採算のとれない路線の施設更新を後回しにしている。その一方で、莫大な国費を投入して、過疎地にも高速道路網が張りめぐらされている。道路工事に費やす資金のいくらかでも鉄道の補修に回せば、生き返る路線はあるのではないか。
専門家によると、高規格道路(高速道路や自動車専用道路など)は完成後も維持費が莫大なものとなるけれど、鉄道施設の更新や近代化は、それにくらべれば安価で済む場合が多いという。第一、国費で賄っている道路を走り、車両の運行だけに専念できるバス会社と線路や施設も車両の運行もすべて自前の鉄道会社とを競争させること自体アンフェアと言わざるを得ない。わが国以上にクルマ社会であるにもかかわらず、欧米では、鉄道施設は国や地方公共団体が管理し、鉄道会社は運行に専念するという上下分離方式が主流となっている。
それゆえ、老朽化による列車遅延や不安定な運行状況、それにともなう客離れ、赤字の拡大といった負の連鎖を断ち切り、高齢化に備えた公共交通手段の構築を急ぐことが急務なのだ。公共インフラのひとつである鉄道を会社任せにしていては、社会が衰えるばかりであろう。