全日本選手権の結果に「もう終わったんだなと思った」
現役引退を表明したフィギュアスケートの浅田真央(26)が12日、東京都内で記者会見した。白いブラウス姿で会場に現れた浅田は、感謝を伝えるために会見を開いたと述べ、引退に至る経緯や心境などを語った。
引退を決心するに至る経緯について問われると、ソチ五輪後の休養を経た復帰については「良い形でスタートできた」が、練習や試合に出場するにつれて、フィギュアスケート界の変化についていけるかと思うことや辛いこともあったという。こうした中で1シーズン目は乗り越えられたが、2シーズン目となる2016年12月の全日本選手権の結果が出た時に「もう終わったんだなと思った」とした。
一方で、復帰後は平昌五輪出場という目標を公言してきたため、「やり遂げなければならないという葛藤はあった」といい、引退の決断をするのは2月になったと明かした。こうした決断に関して、「ソチ五輪の時にやり切ったけど、まだまだやれると思う気持ちがあり復帰しました。しかし、全日本選手権で身体も気力も出し切ったので、悔いはありません」とし、やり残したことはないと明言した。
「どんな形で合ってもフィギュアスケートに恩返しをしたい」
今後について問われると、7~8月に開催されるアイスショーについて「選手生活が終わった後初めてみなさんの前で滑るのでいい演技をしたい」と述べた上で、「5歳からスケートを始めて、スケートにはお世話になりました。これからは、どんな形であってもフィギュアスケートに恩返しをしたい」とした。
会見の終盤は、時折涙を隠そうと背を向けたりしながら、「発表してから暖かいお言葉をいただき、晴れやかな気持ちで引退を迎えることができました。スケート人生で見つけたことを活かし、これから笑顔で前に進んでいきたいと思っています。みなさん、応援いただき、どうもありがとうございました」と、最後まで「真央スマイル」を見せ続けていた。
最も印象に残っている演技は「ソチ五輪のフリー」
浅田は、愛知県名古屋市出身で、5歳からスケートを始め、小学生の頃から天才少女として注目を集めていた。2005年に15歳で世界トップ選手が競うグランプリ(GP)シリーズにデビューし、同年のGPファイナルで優勝。2006年のトリノ五輪は年齢制限に87日足りず出場できなかった。2008年の世界選手権で初優勝。
念願の五輪初挑戦は2010年のバンクーバー大会。ショートプログラム(SP)で出遅れ、キム・ヨナ(韓国)に敗れ銀メダル。集大成として臨んだ2014年のソチ五輪。バンクーバー五輪は6位入賞。この大会ではSPで大きく後れをとっていたが、フリーで気迫のこもった演技を見せ、感動を呼んだ。なお、浅田は引退の記者会見で「最も印象に残っている演技は」という質問に、選びにくいと悩みながらも「ソチのフリー」を選び「バンクーバーからソチの4年間の思いをすべてその4分間に注ぎ込めた」と振り返っていた。
2014年の世界選手権で4年ぶり3度目の優勝に輝いた後に休養し、翌年に競技復帰。2018年の平昌五輪を目指していたが、GPシリーズで結果は出なかった。2016年末に開催された全日本選手権では代名詞ともいわれるトリプルアクセルに果敢に挑戦するなど健闘したが、左膝痛の影響もあり総合12位に終わった。