ふとした瞬間に思い出してしまう、過去の失言や振る舞い——いわゆる「黒歴史」に苦しんだ経験はありませんか。
時間が経つほど増えていくようにも思えるその記憶ですが、直木賞作家・小川哲さんは、それを「成長の証」と捉えます。
本記事では『斜め45度の処世術』(小川哲・著/CEメディアハウス)より一部を抜粋。後悔や反省の意味を問い直し、「成長」との関係を考えるエッセイを紹介します。
飲み会のあとに始まる“脳内反省会”
20代の頃、なにかの飲み会に参加した日はなかなか寝つけないことが多かった。電気を消して横になってから、頭の中で飲み会の反省会が始まってしまう。
「あの時どうしてあんなことを口にしたんだろうな」「あの質問をされた時、こうやって答えることができたらよかったのにな」「ああいう言い方したら、誤解されてしまったかもな」「あのひと言で傷つけちゃったかな」とか。
30代になるとそういったことがめっきり減った。まったくない、というわけではないけれど、飲み会が終わって反省する機会はほとんどない。
どうして減ったのか、僕なりに考えてみると、まず「反省する可能性が高くなる飲み会」というものの傾向がわかってきた、という理由が挙げられる。
反省するのは自分が無理をしたり背伸びしたり、緊張で思ったように会話できなかったり、そういう場面が多く、だいたい「知らない人」や「あまり仲よくない人」のいる飲み会で発生しやすい。
そもそもそういう飲み会へ行かなければ、自分が妙な発言や行動をする機会も減る。
もうひとつは、「僕自身が成熟した」というのもあるだろう。
果たしてそれが人間として正しいことなのかはわからないけれど、無理して場を盛り上げようとか、気を遣って普段と違うことをしようとか、そういうことをしなくなった。
黒歴史が減るのは本当に「成長」なのか
実は小説にも同じことがいえる。最近、短編集の修正作業を行ったのが、20代の頃に書いた短編はとても未熟で、表現の仕方や情報の出し方も下手で、「こんなものを世に出していたのか」と恥ずかしくなった。
アイデアや比喩などで「いまではこんなこと思いつかないなあ」と感心することもあったりするので、「作品の質が低い」とは言いきれないけれど、端的に技術として足りてない部分が散見された。
飲み会と一緒で、当時の僕は小説そのものに不慣れで、妙に肩肘が張っているところがあったと思う。
「黒歴史」と呼ばれる、思い出すだけで恥ずかしくなるような過去も、30代からはそれほど増えていない。
10代と20代のまだ僕という人間が未完成だった時期、いろいろ試行錯誤していた過去こそが、恥ずかしい記憶として残ってしまっているのだろう。



