2025年はクマの出没が続き、通学路や住宅地でも“ニアミス”が増えています。「クマと共存するしかない」という声も聞かれますが、そう簡単ではないことは一目瞭然。実際のところ、私たちの生活とどう折り合いをつければいいのでしょうか。
自然写真家・永幡嘉之氏の著書『クマはなぜ人里に出てきたのか』(旬報社)では、共存の難しさを「特効薬のない病」に例え、人間社会の構造的課題を鋭く指摘。クマ問題を複雑化させる“人間側の壁”とは一体?
クマとの共存は生易しいことではない
ツキノワグマの出没に関する問題を考えるうえでは、「どのように共存すべきか」という言葉がよく出てきます。本当にクマの事故をゼロにして、農産物へのへの被害もゼロにすることだけを考えるならば、あくまでたとえ話ですが、ツキノワグマを獲り尽くして滅ぼせば、目的は達成されます。
実際に日本では、かつて、家畜に被害を与え続けていたニホンオオカミが絶滅した例があります。これによって、大切な家畜がオオカミに襲われる被害はなくなりました。
しかし、さすがに絶滅させてしまえば生態系の歯車が回らなくなるため、種の絶滅を防ぎ、生物の多様性は維持しなければならないという考えが、近年では社会に定着しています。
それぞれの動植物は生態系の歯車にたとえることができ、歯車がひとつ欠ければ、関係している他の歯車が回りにくくなって、ひいては全体も回らなくなるという考え方にもとづくもので、ツキノワグマのような大型哺乳類は生態系上位種と呼ばれ、全体の歯車が回っていることの指標にされます。
ところで、生態系とはずっと複雑なもので、影響は間接的に表れるうえに、変化が起こるまでには時差もあります。オオカミが絶滅した明治時代には、目に見えるような変化は起こりませんでした。100年以上経ってから、シカが急増したことが各地で問題になっていますが、すでにオオカミの絶滅と因果関係があったのかどうかも分かりません。
予測が難しく、「これ以上の開発は控えるべき」という線引きも難しいからこそ、実際にはこれ以上の生態系の改変は避けるべきという予防原則での対応が基本になります。
野生動物を相手に「共存」はありません。人間が森林や草原を開発すれば、野生動物のすみかは破壊されますし、人が減った場所には動物が進出します。人と動物の関係は、そうしたせめぎあいの結果にすぎないのですが、共存という言葉はそうした現実を、あたかも両立しているかのように美化しています。
ツキノワグマへの対応は、特効薬のない病との向き合い方にも似ています。共存という言葉にすり替えるのではなく、その都度、問題と向き合い続けるほかないという本質を忘れてはならないでしょう。考えることは、そこから始まります。
社会が乗り越えるべき壁
ツキノワグマの対策は、現状では行政が担っています。国・都道府県・市町村が、それぞれ分業体制で、個体数の調査も、有害駆除への対応も、そして保全に関する判断もしています。専門的な判断が必要な部分については、その都度有識者を交えた会議が開かれ、そこには大学や研究機関の研究者、それに民間の自然保護団体も加わっています。
こうしてさまざまな立場の人が加わり、知恵を出し合って対策を進めていると書けば聞こえはよいのですが、大きな落とし穴があります。
ツキノワグマを調べている人は人数が少なく、全員がひとつの判断に加わっていることから、異なる意見が出ない構造になっているのです。もちろん、さまざまな政策は、専門家が多くの研究成果を参照しながら、その時点での最良のものが作られています。
ただ、判断の際にはどうしても「予算が限られるから、できる範囲で」というようにさまざまな条件が課せられるので、妥協案になる場面が多く、組織や立場を守る判断にも傾きがちです。関係者はたとえ個人的には異論があったとしても、会議で決定したことには従わなければなりません。
こうした場面では、独立した立場で内容をチェックできる立場の人や機関があることが、健全な社会のあり方です。
たとえばヨーロッパ諸国では、民間の環境保全団体が専門性をもつ研究者を雇用して、調査研究を進めています。さまざまな保全活動を進めると同時に政策提言も行い、社会のしくみを変えてゆくことにも取り組んでいます。こうした団体は、民間企業からの寄付金で成り立っていますので、行政とは一線を画した第三者の立場として、行政が進める施策の監視の役割も果たしています。
日本では民間の環境保全団体の規模がまだ小さく、この部分が弱いのですが、逆にいえば、今後の伸びしろがある部分だともいえます。クマを研究できる職業が少ないことを嘆くよりも、環境保全団体がその枠を作り、増やす方向に向かえばいいのです。
そのためには、さらに乗り越えなければならない課題があります。そのひとつが、保全と愛護を切り分けることでしょう。
2023年のツキノワグマの大量出没時には、「クマを殺さないで」という意見が自治体に寄せられることが、繰り返し報じられましたし、そうした動物愛護に対する批判的な声もまたあふれていました。感情は社会を動かす原動力ですが、保全は感情とは切り離して、データを分析しながら進める必要があります。
近年ではツキノワグマに特化して豊富な会員数や資金力をもつ団体が、全国でさまざまな活動を展開しています。いくつもの保全団体が大きくなることで、民間側での調査研究や社会運動が活発になってゆけば、意見が活発に交わされる社会になってゆくでしょう。そうなれば、ツキノワグマに関するさまざまな政策もずっと進めやすくなるはずです。
この書籍の執筆者:永幡嘉之 プロフィール
自然写真家・著述家。1973年兵庫県生まれ、信州大学大学院農学研究科修了。山形県を拠点に動植物の調査・撮影を行う。ライフワークは世界のブナの森の動植物を調べることと、里山の歴史を読み解くこと。里山の自然環境や文化を次世代に残すことに、長年取り組む。著書に『クマはなぜ人里に出てきたのか』(旬報社)、『里山危機』(岩波ブックレット)、『大津波のあとの生きものたち』(少年写真新聞社)、『巨大津波は生態系をどう変えたか』(講談社)など。



