全国各地でクマの出没が頻繁に報じられる2025年。でも実は、異変は2年前から始まっていました。
2023年10月23日早朝、まだ霧が立ち込める秋田の谷間で、自然写真家・永幡嘉之氏は信じられない光景を目撃します。薄暗い水田に、次々と現れる黒い影……たった2時間で10頭のツキノワグマ。
本記事では、自然写真家・永幡嘉之氏の著書『クマはなぜ人里に出てきたのか』(旬報社)より一部を抜粋して紹介。その緊迫のエピソードを追体験してください。
夜明けの田んぼに現れた黒い影
秋の深まった谷間は、淡い霧に包まれています。前夜のうちに山形県から秋田県まで車を走らせ、以前から下見をしていた道路の待避所に車を停めて、私はできるかぎり物音を立てないよう、寝袋にくるまっていました。2023年10月23日のことです。
目が覚めるたび、まだ周囲が真っ暗なことを確かめます。やがて空が少しだけ白みはじめ、山の輪郭が浮かび上がってきました。
車の窓に顔をつけて目を凝らすと、稲穂が黄色く色づいた水田の形が、暗闇の谷間に辛うじて浮かび上がります。5時30分、向こう側の林から、ひとつの黒い影が水田に出てきました。暗闇のなか、黒い影は動いていくのが見えます。双眼鏡でのぞくと、ツキノワグマの耳がはっきりと浮かび上がりました。
夜明けの谷間がしだいに明るくなっていきます。こちらも車の窓枠の陰に顔を隠し、カメラのレンズの幅だけ窓を細く開けて、クマの動きを注視します。
撮影するにはまだ暗すぎて、不鮮明な写真にしかなりませんが、望遠レンズを通してツキノワグマが稲穂からイネの実(コメ)を食べている様子が手に取るように見えます。40分ほどイネを食べたツキノワグマは、再び林のなかに姿を消していきました。
2時間で10頭……前代未聞の大量目撃
少し谷間を下ると、周囲はまだ霧に包まれていました。東北地方の内陸部では、秋には毎朝のように霧が立ち込めます。霧が晴れてゆくなか、別の水田を見渡していると、ここにも黒い影がありました。コメを食べていますが、私の車に気づき、イネの間に顔を隠して耳を立てています。
クマは食べるのをやめ、ほどなく川沿いに姿を消しました。集落はすぐ近くで、クマが姿を消した直後に、有線放送から6時半のラジオ体操が流れてきました。100メートルほど離れた場所には、犬を散歩させているお婆さんの姿がありました。
日が差し込んで明るくなった7時50分からは、子どもを連れたクマが次々に現れ、朝の2時間にひとつの集落のまわりだけで、見つけたツキノワグマは実に10個体にのぼりました。
もっとも、あらかじめ地形を把握したうえで、クマが出てきそうな場所を選んで探していますし、ツキノワグマのほうも人の気配を感じるとすぐに逃げて姿を隠すので、普通に生活している人の目に触れることはないでしょう。決して、人から見える場所に堂々と出てきていたわけではありません。



