ここがヘンだよ、ニッポン企業 第33回

のび太のように「運動神経のない子」を徹底的に見えない化! 運動会の「教育的配慮」はアリかナシか?

昨今の運動会で、足の速さ遅さが「見えない化」されていることが一部で議論になっている。しかし、どちらのシステムを採用したところで、日本の子どもたちの競争心や「やればできる」という気持ちが育まれることはないだろう。その理由を解説する。

子どもを持つ親ならば分かると思うが、実は今、運動会の徒競走では子どもの足の速さ、遅さは分からないことが多い。タイムがほぼ同じくらいで拮抗(きっこう)している子ども同士を走らせるというシステムを導入しているからだ。
 
このシステム下では例えば、リレーの選手に選ばれるような俊足の子どもが5着になることもある。その逆に『ドラえもん』の“のび太”のように運動神経が悪い子どもがトップになるようなレースもあるのだ。
足の遅さは見えない化すべき?
足の遅さは見えない化すべき?

「無気力な子どもをつくらないため」のシステムだが……

このシステムについて今、一部で議論になっている。「足が速い=モテる」という時代の小中学校を経験してきた世代からすると、これは足の速い子どもの努力や才能が正当に評価されないし、足の遅い子どもにとって「負ける悔しさ」を教えることができない。結果、子どもの競争心が育まれないと主張している。
 
一方、教育関係者などからすれば、このシステムが多く導入されているのは「無気力な子どもをつくらないため」だという。自分よりも圧倒的に足の速い子どもと同じ組だと、「どうせ何をしても無駄」と捨て鉢になってしまう。しかし、このシステムを導入することで、より多くの子どもに「やればできる」という「随伴経験」の機会を設けることができるのだ。
 
どちらも「なるほど」と思う部分はある。ただ、個人的にはどちらのシステムを採用したところで、日本の子どもたちの競争心や「やればできる」という気持ちが育まれることはないと思っている。

競争心や「やればできる」気持ちを殺す日本の運動会

運動が得意な子も苦手な子も十把(じっぱ)ひとからげにして、本人たちの意志と関係なく競争と努力を強制する「運動会」というシステム自体が、子どもの競争心や「やればできる」という気持ちを殺しているからだ。
 
よく言われることだが、日本のように、子どもを全員参加で走らせたり玉入れで競わせたり、人間ピラミッドをさせたりする「運動会」は珍しい。かつて日本が統治していた韓国、台湾、あるいは近代化を目指す過程で日本を「手本」とした東南アジアなど一部の国だけしか見られない“少数派”の教育スタイルだ。ほとんどの国で教育現場にあるのは「自由参加のスポーツイベント型」、あるいは「運動エリートの競技会」である。
 
当然、ここまで紹介したような議論も起きない。足の遅い子、運動に興味がない子は、これらの学校行事では応援や観戦にまわる。中にはそもそも参加もせず、その時間は自分の趣味や得意分野に力を注ぐ子もいるのだ。
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ゆくゆくは社畜社員に…!? 従順な子どもを量産する教育システム
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