「1」が柿の種、「0」がピーナツに見えることにちなんで、亀田製菓によって制定されました。
今回は柿の種の誕生秘話、柿の種とピーナツの黄金比率など、柿の種の豆知識をご紹介します。
柿の種は「偶然」生まれた
柿の種は、1924年に新潟県長岡市で生まれたお菓子です。地元で米菓を作っていた「浪花屋製菓」の創業者が、誤って踏んでしまいゆがんだ「小判型あられ」の金型を、そのまま使って作ったのが始まり。
取引先から果物の柿の種に似ていると言われて「柿の種」と命名しました。
実際、新潟名産の「大河津柿」などの甘柿の種は細長い半月型で、お菓子の柿の種にとてもよく似ています。
柿の種の製法は開示されたために多くの企業も製造し、新潟だけではなく全国的な人気菓子になっていきました。
最初に「柿ピー」を作ったのは誰?
亀田の柿の種にはピーナツが入っていますが、この「柿ピー」スタイルを最初に考案したのは誰なのでしょうか。諸説ありますが、有力なのは二つの説だとされています。一つは、帝国ホテルのバーで、西洋にならいおつまみとしてナッツを提供する際に、日本らしさを出すために柿の種を混ぜたというもの。
もう一つは、亀田製菓の直売所が発祥説。店番をしていた創業者の妻が瓶詰の柿の種とピーナツが並んでいるのを見て、一緒に食べてみたらおいしかったので商品化したというもの。
どちらにしても、記念日である10月10日が「0」をピーナツに見立てていることからも分かる通り、もはや亀田の柿の種にとって、ピーナツはなくてはならない存在でしょう。
柿の種とピーナツの黄金比率は?
亀田製菓がピーナツ入り柿の種を発売開始したのは1966年ですが、当時の柿の種とピーナツの比率は「7対3」でした。当時は高級品だったピーナツをもっと食べたいという要望があったため、70年代に一度「5対5」に変更。
あまり売り上げが伸びなかったため、数年後に間を取った「6対4」に再変更。その後、長らく続いてきました。
しかし、2019年に亀田製菓自ら「当たり前を疑え!国民投票」と題して消費者投票を実施。応募総数25万5903票のうち29.5%を獲得して「7対3」が1位になりました。
この結果を受け、2020年6月から実際に柿の種の比率が「7対3」に変更され現在に至っています。
定番でありながら進化を続ける亀田の柿の種。この機会に食べてみてはいかがでしょうか。
この記事の筆者:石川 カズキ
1984年沖縄県生まれ。筑波大学人間学類卒業後、会社員を経て芸人・作家・コピーライターに。エレキコミック・ラーメンズを輩出した芸能事務所トゥインクル・コーポレーション所属。第60回宣伝会議賞コピーゴールド受賞、LOFT公式YouTubeチャンネル「コントするイシカワくん」シリーズのコント台本・出演、KNBラジオCMコンテスト2020・2023協賛社賞受賞など。お仕事があればお気軽にご連絡ください。AIから仕事を奪うのが目標です。