「All About」鉄道ガイドの野田隆が解説する。
(今回の質問)
山手線→緑色、中央線→オレンジ色……JRの路線の色はどのようにして決まったんですか?
(回答)
元々は誤乗防止のため別の色を使ったとされている。その後、路線カラーとして何種類かに色分けされた。
ブドウ色の車両が走った国鉄時代

「乗り間違い」を防ぐため、別カラーが登場

なぜオレンジ色になったのか、正確なことは不明だが、当時の担当課長が夫人の愛用していたセーターの色にヒントを得たとの説が有力である。

ところが、101系ではオーバースペックということになり、変電所などの設備も大幅に増強する必要に迫られることに。そこで、経済性を重視した103系が登場することとなり、車体色はウグイス色(ライトグリーン)とすることが決まったのだ。すでに走っていたカナリア色の101系は、そのまま中央線緩行&総武線に異動。このあたりから、国電は路線別に色を変えることとしたようだ。

現在は窓下のストライプのみが色別に
1973年に武蔵野線が新規開業したとき、車体色がどうなるのか気になった。残るは紫色? との予想もあったがはずれ、中央線と同じオレンジバーミリオンに決まった。青梅線・五日市線も、旧型国電が一掃されて101系、103系が使われているが、中央線への乗り入れもあり、色はオレンジバーミリオンである。長らくブドウ色の旧型国電が走っていた南武線は過渡期にはオレンジと黄色の混成編成もあったが、最終的には黄色に落ち着いている。鶴見線も黄色の101系、103系が走っていた。


この記事の筆者:野田隆
名古屋市生まれ。生家の近くを走っていた中央西線のSL「D51」を見て育ったことから、鉄道ファン歴が始まる。早稲田大学大学院修了後、高校で語学を教える傍ら、ヨーロッパの鉄道旅行を楽しみ、『ヨーロッパ鉄道と音楽の旅』(近代文芸社)を出版。その後、守備範囲を国内にも広げ、2010年3月で教員を退職。旅行作家として活躍中。近著に『シニア鉄道旅の魅力』『にっぽんの鉄道150年』(共に平凡社新書)がある。
名古屋市生まれ。生家の近くを走っていた中央西線のSL「D51」を見て育ったことから、鉄道ファン歴が始まる。早稲田大学大学院修了後、高校で語学を教える傍ら、ヨーロッパの鉄道旅行を楽しみ、『ヨーロッパ鉄道と音楽の旅』(近代文芸社)を出版。その後、守備範囲を国内にも広げ、2010年3月で教員を退職。旅行作家として活躍中。近著に『シニア鉄道旅の魅力』『にっぽんの鉄道150年』(共に平凡社新書)がある。