「All About」鉄道ガイドの野田隆が解説する。
(今回の質問)
グリーン車はなぜ「グリーン車」という名称なんですか?
(回答)
グリーン車の前身である1等車の車両の窓下に、薄緑色のストライプがあったからだという説が有力とされている。
かつて「等級制」だった日本の鉄道
日本の旅客車両は、かつて3等級制だった。鉄道創業時は上等・中等・下等だったが、下等はちょっとひどい言葉だと批判され、1897年からは1等・2等・3等と呼ばれるようになった。車両形式は、1等=イ、2等=ロ、3等=ハで表記された。よく耳にする「モハ」はモ(モーター付き)の普通車(電車)、「キハ」はキ(気動車=ディーゼルカー)の普通車、という意味である。 第2次大戦後、国鉄の1等車は機関車けん引の特急列車の最後尾に連結される展望車(マイテ)くらいしかなく、1960年に東海道本線の特急列車が全て電車化されると、1等車はなくなった。
そこで、旧2等車が1等車(車両の形式記号は「ロ」のまま)に、旧3等車が2等車(車両の形式記号は「ハ」のまま)に移行し、2等級制となった。また、グリーン車時代になっても車両形式記号が「ロ」から「イ」に変わることはなく、そのままモロ、サロ、キロとして表記されている。
「普通車」「グリーン車」へ移行
日本は高度成長期となり、1億総中流時代と呼ばれるようになった。社会は豊かになり、平等が叫ばれ、2等車のレベルも相対的に向上する。そのような時代にあって、1等・2等は差別的ともとられるようになったので、1969年に国鉄はモノクラス制に移行し、1等・2等の運賃の差別を撤廃した。代わりに、普通車に対して特別車両を設置、運賃は同じながら、特別車両の料金を別途徴収する仕組みとなった。このとき特別車両の愛称を、等級を表わす数字ではなく「グリーン車」とした(多くの車両の場合、1等車の名称変更である)。
この当時の1等車の外観は、窓下にライトグリーンのストライプが入っていたため、「グリーン車」という名称はこれに由来するとする説が有力だ。さらに、ドア脇などに緑の四つ葉のクローバーマークを付けたため、グリーン車の愛称は瞬く間に普及した。 グリーン車の車内は、普通車に比べてゆったりしていて、座席も広めでリクライニングもよく効く。この当時の普通車は、4人向かい合わせのボックス席が主流であったため、グリーン料金に見合ったものであった。
新幹線も普通車は、通路をはさんで3人席+2人席だが、グリーン車は2人席+2人席とゆったりしている。東海道新幹線の場合は、普通車から車内販売がなくなったが、「のぞみ」「ひかり」のグリーン車ではモバイルオーダーサービスとして残り、さらに雑誌のサービスなどで差別化している。 JR東日本(首都圏)の中距離普通列車の多くには2階建てグリーン車が2両連結され、ロングシートが一般的となった普通車に比べると居住性は良好だ。季節や時間帯によっては空席が目立つので、窮屈な感じがなく、料金が高いだけのメリットはある。
グランクラス誕生。3等級制の復活?
グリーン車は、高級感はあるものの、航空機でいえばビジネスクラス相当だ。そこで、東北新幹線、北陸新幹線などでは、グリーン車よりワンランク上のグランクラスが登場し、人気を博している。ある意味、かつての3等級制が復活したともいえよう。この記事の筆者:野田隆
名古屋市生まれ。生家の近くを走っていた中央西線のSL「D51」を見て育ったことから、鉄道ファン歴が始まる。早稲田大学大学院修了後、高校で語学を教える傍ら、ヨーロッパの鉄道旅行を楽しみ、『ヨーロッパ鉄道と音楽の旅』(近代文芸社)を出版。その後、守備範囲を国内にも広げ、2010年3月で教員を退職。旅行作家として活躍中。近著に『シニア鉄道旅の魅力』『にっぽんの鉄道150年』(共に平凡社新書)がある。
名古屋市生まれ。生家の近くを走っていた中央西線のSL「D51」を見て育ったことから、鉄道ファン歴が始まる。早稲田大学大学院修了後、高校で語学を教える傍ら、ヨーロッパの鉄道旅行を楽しみ、『ヨーロッパ鉄道と音楽の旅』(近代文芸社)を出版。その後、守備範囲を国内にも広げ、2010年3月で教員を退職。旅行作家として活躍中。近著に『シニア鉄道旅の魅力』『にっぽんの鉄道150年』(共に平凡社新書)がある。