彼女に「女の子のLINE IDは消して」と言われたら…。男子校ではデートDVや性的同意をどう教えている?

性的同意やデートDV、不同意性交罪など、名門男子校では「性とジェンダー」をどう学んでいるのか。『男子校の性教育2.0』を上梓したおおたとしまささんが解説します。

デートDVや性的同意はホットなテーマ

pixta_53634021_M
多感な時期を男子だけですごす男子校だが……
存在自体がジェンダー平等に反するかのようにいわれることすらある男子校。圧倒的な進学実績を誇る名門校が多い一方で、男子校を出たばかりの学生たちにはたしかに、女性との距離感がうまくつかめず危なっかしいところがあります。それが男子校のアキレス腱であることは明白です。

そこで、全国すべての男子校に性教育やジェンダー教育に関するアンケート取材を行いました。戸籍上の男子しかいない制約のなかで、むしろそれを生かして、各校が工夫を凝らした教育を行っていることがわかりました。これらの実践を取材して拙著『男子校の性教育2.0』(中公新書ラクレ)としてまとめました。

単なる生殖の教育としてではなく、ジェンダーや人権や性生活のウェルビーイングまでを広く視野に入れる性教育を「包括的性教育」と呼びます。私が男子校で目撃した包括的性教育では、マスターベーション、性器の形や大きさ、緊急避妊薬、コンドーム、ピル、月経、予期せぬ妊娠、性感染症、性的多様性、性的同意、性暴力、不同意性交罪のあたりが共通して扱われていました。

特に2023年7月に不同意性交等罪が定められたこともあり、デートDVや性的同意については共通してホットな話題として語られていました。ホットな話題だけに、専門家の講師や教員のあいだでも表現の仕方に違いが大きいなとも感じました。

「正解」を押しつける人権教育は逆効果

ある男子校では、外部講師を招いてデートDVについての講演を行ってもらったところ、あとから生徒たちの不満が噴出したと教えてくれました。

その講師が話してくれたことは、社会的にはおそらく正論だったはずです。しかしまだ恋の経験もない子どもたちをつかまえて、君たちは加害者になる可能性があると脅すのは、教育的コミュニケーションとしては乱暴だったのでしょう。「おまえは泥棒だ」と言って育てれば泥棒に育つという有名な言葉があります。だとすれば「男は暴力的で無責任だ。自覚しろ」と言って育てればどうなるでしょうか。

「大人による『正解』の押しつけを、私は『上からの人権教育』と呼んでいます。良かれと思ってやった教育活動が実は逆効果にもなりうることを、私たちはもっと自覚すべきです」と、その教員は訴えます。

頭のいい生徒たちなら、講演後のアンケートで「たいへん勉強になった」に○をつけ、感想欄には“SDGs”的に正しいことをいともたやすく書けてしまうはずです。でもそれは、せっかく純粋な彼らの内面を本音と建前で区切り、本音を変化しがたいものに固着させてしまう危険性をともないます。

「その意味で、黙って話を聞いてくれる生徒や学校ほど危険です。あれもこれもやってはいけないと規範を押しつけられ、かつ、自分の本音は変わらないという状況だと、ネットなどの匿名の空間にもぐって差別行為を行うひとを育てることになります」と先の教員は警告していました。

「付き合っている」ってどういう状態!?

その点、ある男子校で見たデートDVについてのケーススタディは見事でした。

付き合っているカノジョから「女の子のLINE IDはぜんぶ消せ」って言われたという状況設定。「ほかの女の子としゃべっているだけで怒られるけど、これが付き合っているってこと?」という相談にどう答えるかと、講師は生徒たちに問いました。

マイクを向けられた生徒の一人は「その男の子がいいならいいけど、僕だったら別れる」と答えました。別の生徒は「うーん、好きだったら、消します」と答えました。

それを受けて講師は「自分が消したいなら消せばいいと思うけど、消したくないなら消す必要はありません。LINE IDを消すかどうかを決めるのは自分自身であって、カノジョに強制されてやることではないです。自分がほかの女の子としゃべりたくてしゃべっているのに、それを怒られるのは違うわけですよね」と説明します。

講師は男子生徒の立場に視点を置いて説明します。立場を入れ替えれば、自分もお付き合いしている相手に対してそのような要求を押しつけてはいけないとわかります。

そもそも「告白→OK→お付き合い」というプロセス自体が世界的には珍しい恋愛習慣です。バブル期前後に一世を風靡(ふうび)した深夜のバラエティ番組のせいで広まった風習ではないかと私は思います。

「付き合っているから……」という形ばかりの既成事実が、セックスをする権利があるように錯覚させたり、セックスを断りにくくする状況をつくってしまったりしているのではないかという気がしてなりません。

性的同意やデートDVを語るのであればそのまえに、「付き合っている」とはどういうことなのかを考える機会を設ける必要があるのではないでしょうか。

同意をとっても不同意性交罪に問われる

ある講演会では、質疑応答の時間に「言葉で同意をとっていてもあとからいくらでもひっくり返して不同意性交罪に問えるのだとしたら、男に不利だと思うのですが、僕たちはどうやって自分を守ったらいいのでしょう?」という質問がありました。

「男に不利だと思うのですが」が余計でした。講師の回答は「男性があとから同意がなかったと訴えることもできるわけですから、男が不利ということはまったくありません」で終わってしまいました。それはまったくその通りなのですが、質問者の意図は「同意をとってもあとからひっくり返される可能性があるのだとしたら、どうやって自己防衛すればいいのか」にあったはずです。

むりやりとかどさくさまぎれで性行為におよんでしまうのを防ぐために性的同意という概念はあるのにそれが転じて、あとから客観的に性的同意が証明できない状態で性行為をすること自体が犯罪にあたるかのように一般化されてしまうから、このような質問が生じるのです。いま、同様の不安を抱えている若者は多いのではないでしょうか。

性的同意の概念や不同意性交罪の成立条件について知識として知っておくことは大切だと思いますが、そういった考え方が生まれた文脈の説明もなしに、レイプやどさくさまぎれのセックスをするつもりが少なくとも現時点ではさらさらない中高生に言葉による逐次の同意を必要不可欠なものであるといきなり強調するのは、説明の仕方としてなんだか順序が逆のような気がします。

法律知識以前に大人が本気で伝えるべきこと

別の講師は「愛の反対はなんですか? 愛の反対は無関心ですよね。『好きだよ。愛してるよ。でもセックスはしたくない』。そういうこともあるんです。それなのに『愛してるからしようね』と迫るのは、体に関心があるだけで、相手の心には無関心ですよね。愛してないじゃないですか」と生徒たちに問いかけました。

そして続けます。「いまは性的同意という言葉もできました。たとえ夫婦であっても、むりやりセックスしたら、犯罪になります。でもそういう話じゃなくて、相手が嫌がっているのにむりやりするっていうのは人間的には考えられないことです」と言い切りました。

シンプルに本質を伝えています。相手が嫌がることをするのはダメ。相手が望んでいないことをどさくさまぎれでするのもダメ。たったこれだけのことを説明するのに法律をもち出さなければいけないのは本来おかしな話です。

またある教員は「言いたいことが言い合える信頼関係が育っていない相手とセックスするから性的同意の問題が生じるわけで、性的同意の前に、さして好きでもない相手とセックスすることの意味なんかも考えさせなければいけないと思います」と主張していました。

ちなみに、たくさんの講師や教員の考えを聞かせてもらったうえで、私が現時点で考える答えはシンプルです。

前提として「ひとが嫌がることはするな」。そのうえで「自分を守りたいと思うなら、あとから同意をひっくり返すかもしれないと不安に感じるような信頼できない相手とはするな」。それでも万が一、裏切られることを想定するのなら、「このひとに裏切られて人生をめちゃくちゃにされるならそれも本望だと思えるほどに惚れ込んだひととしかするな」です。

教育現場で性的同意を具体的にどう教えるのかについては、今後も活発な議論がありそうです。
 
この記事の執筆者:おおたとしまさ
教育ジャーナリスト。「こどもが“パパ〜!”っていつでも抱きついてくれる期間なんてほんの数年。いま、こどもと一緒にいられなかったら一生後悔する」と株式会社リクルートを脱サラ。独立後、数々の育児・教育誌のデスクや監修を務め、現在は、子育て、教育、受験、進学、家族のパートナーシップなどについて、取材・執筆・講演活動を行う。『勇者たちの中学受験』『ルポ名門校』『不登校でも学べる』など著書は約80冊以上。
Lineで送る Facebookでシェア
はてなブックマークに追加

編集部が選ぶおすすめ記事

注目の連載

  • 恵比寿始発「鉄道雑学ニュース」

    引退する「ドクターイエロー」。座席数、ねぐら、後継車両…実はあまり知られていない7つの秘密

  • 海外から眺めてみたら! 不思議大国ジャパン

    「失礼なことを聞くようだけど……」外国人が不思議に思う、日本人女性の徹底した「白肌信仰」

  • 世界を知れば日本が見える

    サウナが根付く国の人々は「控えめでシャイ」。大統領も認める、日本人とフィンランド人の意外な親和性

  • ヒナタカの雑食系映画論

    『ルックバック』や『帰ってきた あぶない刑事』も。2024年の「バディ映画」から見えてくる多様性と変化