NGワード2.「動物の権利」
今回、石田さんは発信の中で「権利」という言葉を用いた。ペットも家族の一員として救助される権利があるということかもしれないが、動物愛護の文脈のなかで「権利」を語ることは「動物の権利」(アニマルライツ)を連想する人が多い。これは「動物が動物らしく生きる権利」であって、動物は人間からの苦痛をこうむることなく、その動物の性質に反することなく生きる権利があるという考えで、多くの動物愛護シーンで語られている。
ただ、一方でこういう「動物の権利」を持ち出すのは諸刃の剣のようなところがある。「権利には責任が伴う」という言葉があるように、カチンときたアンチからの「動物を飼うことの責任」を詰められてしまうのだ。
例えばアニマルライツの観点で見れば、犬が飛行機に乗って上空1万メートルを飛ぶなんてことは犬の権利を侵害していることこの上ない。そもそも、人間のエゴで温泉だバカンスだと連れ回されることも「犬らしく生きる権利」に反している……なんて感じで「犬の権利とは何か」論争が始まってしまう。
つまり、航空機事故というさまざまな意見が飛び交うなかで、石田さんは「動物の権利」という非常に燃焼性の高いネタ振りをして、「さて、どうやって論破してやろうか」と肩をぶんぶんまわすSNSユーザーを自ら呼び込んでしまったのである。
NGワード3.「命をモノ扱い」
ただ、いろいろ言ってきたが、筆者が石田さんの投稿で致命的だったのはこの3番目の「生きている命をモノとして扱う」という記述である。なぜかというと、石田さんのライフスタイルや食生活はさておき、現代の消費社会は人間以外の「生きている命をモノとして扱う」ということで成立しているからだ。
例えば、スーパーや居酒屋で毎日捨てるほどあふれている肉は、牛や豚や鶏の命を食肉処理場で働く人たちや解体業者が、モノのように扱っているから流通されている。家畜の食肉処理の現場を一度でも見れば、いかにわれわれが「動物愛護」とかけ離れた社会に生きているかがよく分かる。
最近ではアニマルライツとは別に、アニマルウェルフェア(動物福祉)という考えが広がっているので、家畜も狭いところに押し込めてはいけないとか、食肉処理する際にもなるべく苦しませないとか、いろんな取り組みが進んでいるが、「命をモノとして扱う」ことには変わりがない。
他にも、医薬、化粧品、科学分野の研究開発でも動物実験が行われているし、水族館のイルカショーや、象の曲芸や猿回しなども世界から見ると「動物虐待」だ。
石田さんのように優しい人が「命をモノとして扱う」ことへの違和感を表明するのは当然だ。ただ、残念ながらわれわれの社会の現実を踏まえると、その厳しい意見はそのまま巨大ブーメランとして自分に突き刺さってしまうのだ。