いまでは気鋭の教育ジャーナリストとして知られる、おおたとしまさ氏が、プライベートでは新米パパであり、仕事では駆け出しのフリーライターだった約15年前にAll Aboutで綴っていた子育てエッセイ連載「パパはチビのヒーローだ!」が、このたび『人生で大切なことは、ほぼほぼ子どもが教えてくれた。』(集英社文庫)という文庫になった。
刊行を記念して、文庫に収録されている約60本のエッセイのうち11本を厳選して連載する。All Aboutのかつての人気連載が15年ぶりの復活だ。
教育ジャーナリストが自戒の念を込めておくる現役パパへのメッセージ
【最終回】“願い”よ届け!
縁起でもないですが、あなたは死ぬ瞬間にお子さんにどんなことを伝えたいですか? もっと縁起でもないですが、もし、あなたが明日死ぬとわかっていたら、今日はお子さんとどんなふうにすごしますか?子どもにこんなことを伝えたい、いっしょにこんな体験をしたいと思うことは山ほどあるでしょう。しかし、子どもといっしょにいられる時間は、いま、この瞬間も、一分、一秒と確実に減っています。限られた時間の中で、どれだけのことを子どもに伝えることができるか……。
子育ては時間との戦いでもあります。しかし、いっしょにいなければ何も伝えられないかといえば、そうではないでしょう。パパが会社に行っているちょっと寂しいその時間が、子どもに働くことの意味をじわりじわりと伝えることになるかもしれません。子どもが寝ている間に手紙を枕元にそっと置いておけば、子どもはパパが片時も自分のことを忘れていない安心感をもってくれるかもしれません。
もし、仮に、パパがなんらかの理由でこの世からいなくなったとしても、パパのブログを読んで、パパの“願い”を知ってくれるかもしれません。パパの本棚に残された本を読んで、パパの“好み”をわかってくれるかもしれません。いっしょにいられる時間が少ないなら少ないなりに、自分の“願い”や“想い”を伝える工夫をあれこれ考えてみる。ちょっと切ないですけど、それも子どもといっしょにいる時間が少ないパパの育児のひとつだと思います。
そのうえで、子どもといっしょにいられる、人生のうちでほんのわずかな時間をいかにすごすのかを考えれば、その限られた時間は限りなく濃ゆ~くなっていくはずです。子どもが「パパ~!」なんて抱きついてくれるのは人生のうちのほんの数年間。そのわずかな時間くらい、うんざりするほどの愛情を子どもに注いでもいいのではないでしょうか。
たとえば、私が新米パパ時代、こんなことがありました……。以下、約15年前の連載に掲載されていたエピソードです。
「ねぇ、パパ」(チビ6歳・ヒメ3歳、15年前当時)
ヒメが大きくなって、チビとふたりだけで遊ぶことが少なくなった。
ヒメがいると、どうしてもヒメのペース、レベルに合わせて遊ばなくちゃいけない。チビと僕が話をしていてもヒメが横やりを入れて、会話がなかなか成り立たない。
チビは僕を独占できないことにときどきイライラを感じているようだ。
だから、チビはできるだけヒメがいないすきを狙って、何かと理由をつけて僕と話そうとする。
「ねぇ、パパ? カメはエサ食べてる?」
「ねえ、パパ? 怪獣カードで珍しいのを見つけたんだけど……」
「ねぇ、パパ? ……」
パパが仕事をしているとき、新聞を読んでいるとき、テレビを見ているとき、「ねぇ、パパ?」はパパの全意識を自分に向けるためのスイッチみたいな言葉。
何かを質問したいときの「ねぇ、パパ?」はちょっと語尾が上がる。
何かの不満をぶつけたいときの「ねぇ、パ〜パ〜!」は泣きそうな声で震えてる。
非難するときの「ねぇ、パパ……」は低いトーンで、それとわかる。
チビは、あとに続く話の内容に合わせて、イントネーションや表情を変えて、何十種類もの「ねぇ、パパ」を使い分けている。
それによって、こちらも話を聞く態度を変えることができる。
こちらが忙しいときに、気軽なタイプの「ねぇ、パパ」をくり返されると、「なぁ〜んだよ〜! いま、忙しいのっ!」って、怒鳴っちゃったりする。
でも、深刻なタイプの「ねぇ、パパ」を投げかけられると、一応話は聞こうかなと冷静になれる。チビはそれを知っている。
チビはいったい一日何回「ねぇ、パパ」って言ってるんだろう? 休みの日に、「ねぇ、パパ」の数を数えてみることにした。
ヒメとママは置いて、チビとパパだけで朝からおでかけ。
「今日は、チビが何回“ねぇ、パパ”って言うか数えちゃうよ」僕が言うと、チビは照れくさそうに笑う。
「ねぇ、パパ? なんでそんなことするの?」「ほら、もう一回!」
公園で遊んだり、レストランでごはんを食べたり、帰りにパパの晩酌用のおつまみを買ったり。ごくフツーの休日が過ぎていく。
そして、ひっきりなしに「ねぇ、パパ」はくり返される。
夕方、晩ごはんの前に、おつまみのするめと、ホッピーをテーブルに並べる。チビがお酌してくれる。
そしてまた、「ねぇ、パパ……」。これで、80回目。
ごはんを食べるとき、お風呂に入るとき……。
そのあとも「ねぇ、パパ」は続いたが、お酒を飲んでいい気持ちになってしまってからは僕の頭の中の「ねぇ、パパ」カウンターは故障して止まってしまった。
でも、一日少なくとも80回以上、僕はチビの「ねぇ、パパ」に応えていたことになる。
朝の8時から夜8時までの12時間だとすると、9分に1回のペース。
「ねぇ、パパ」で始まった一回の会話が終わるのに、最低1分。長いと10分はかかる。
「ねぇ、パパ」だけではなくて、「ねぇ、チビ?」も当然ある。
つまり、チビと僕がいっしょにいるときは、ほとんど、会話が途切れていない計算になる。
1回の「ねぇ、パパ」が終わったら、すぐ次の新しい「ねぇ、パパ」が始まる。お坊さんの禅問答みたい。
「ねぇ、パパ」はチビにとっては魔法の言葉なのかな? 知りたいこと、不満、怒り、うれしかったこと、楽しかったこと……なんでも、「ねぇ、パパ」と言ってから話せば、すべてがうまくいく。
そう思ってるのかもしれないな。
まだまだ、パパはチビのヒーローだから。
そして、僕にとっても「ねぇ、パパ」はこの世で最もすてきな言葉。
「ねぇ、パパ」があるから、僕は毎日を頑張れる。
「ねぇ、パパ」って言う、あのころのあどけないチビの顔とかわいい声を思い出すだけで、愛おしくて涙がこぼれそうです。
思い出すだけで、あのころの気持ちが甦り、勇気が湧いてくる。
私はあのとき、何度も呪文をかけられていたんですね。その効果は、いまだ衰えていないようです。
この記事の執筆者:おおたとしまさ
教育ジャーナリスト。「こどもが“パパ〜!”っていつでも抱きついてくれる期間なんてほんの数年。いま、こどもと一緒にいられなかったら一生後悔する」と株式会社リクルートを脱サラ。独立後、数々の育児・教育誌のデスクや監修を務め、現在は、子育て、教育、受験、進学、家族のパートナーシップなどについて、取材・執筆・講演活動を行う。『勇者たちの中学受験』『ルポ名門校』『不登校でも学べる』など著書は約80冊。