いまでは気鋭の教育ジャーナリストとして知られる、おおたとしまさ氏が、プライベートでは新米パパであり、仕事では駆け出しのフリーライターだった約15年前にAll Aboutで綴っていた子育てエッセイ連載「パパはチビのヒーローだ!」が、このたび『人生で大切なことは、ほぼほぼ子どもが教えてくれた。』(集英社文庫)という文庫になった。
刊行を記念して、文庫に収録されている約60本のエッセイのうち11本を厳選して連載する。All Aboutのかつての人気連載が15年ぶりの復活だ。
教育ジャーナリストが自戒の念を込めておくる現役パパへのメッセージ
【第6回】パパは遊びをクリエイトする!
おもちゃも道具も何にもない状態で、子どもとふたりでできる遊びって、たとえばどんなものがあるでしょう。しりとりや早口言葉などの「ことば遊び」、あっちむいてほいなどの「じゃんけんゲーム」、アルプスいちまんじゃくなどの「手遊び・唄遊び」などいろいろありますね。遊びはいつでもどこでも何にもなくても考えられます。それこそ創造力ではないでしょうか。おもちゃには大きく分けて二種類があると思います。積み木のように子ども自身の創造力がないと何も始まらないおもちゃと、テレビゲームのように次から次へと子どもに指示を与えてくれるおもちゃ。
おもちゃ研究家の先生から「面倒見の悪いおもちゃほどいいおもちゃ」という話を聞いたことがあります。おもちゃのほうからは何も動いてくれないおもちゃほど、子どもの想像力や創造力を刺激し、子どもの力を伸ばすというのです。
親の私たちだって、「おもちゃはおもちゃ屋さんで買うもの」や「喜ばせてくれるおもちゃほど面白いおもちゃだ」などと思い込んだりしていませんか? 親がそう思っていたら、子どもも間違いなく、そう思うでしょう。「面白くないおもちゃなんてない。面白くないのは、そのひとが面白くないひとだから」ではないかと思います。創造力と遊び心さえあれば、どんなガラクタだっておもちゃになるはずです。
「パパー、おもちゃ欲しい!」と言われたとき、「ダメ! この前買ってあげたでしょ」と返すか、「いいよ! ダンボールとペットボトルを持ってきな!」と返すかは、計り知れないほど大きな違いだと思います。
「ないものはつくればいい」の精神は、遊びやおもちゃだけでなく、いろんなことにもあてはまりますよね。社会のしくみ、仕事、人間関係……ひとから与えられるのを待つのではなく、ないものはなんだってつくればいい。そう思えるひとになってほしいと思います。
たとえば、私が新米パパ時代、こんなことがありました……。以下、約15年前の連載に掲載されていたエピソードです。
知育おもちゃ(チビ6歳・ヒメ3歳、15年前当時)
最初は鮮やかな緑だった竹がだんだんと黒ずんできた。
「これでパパがおもちゃをつくってあげるよ」 「やったー!」 ……という会話をしてからはや三カ月。ゴールデンウイークに竹藪から太い竹を二本切り出して、仕事部屋に置いてあったのだ。
「パパ、いつ竹のおもちゃつくってくれるの?」
「ごめんなー、なかなか時間なくて」
「今日こそ竹でおもちゃをつくろう!」
「やったー!!!」
工具入れからノコギリを取り出し、竹を切る。ギーコー、ギーコー……。
「うわぁー、すごーい」
チビは何ができるのか楽しみにして目を丸くするが、なかなかまっすぐに切れない。
「あれー? ごめんね。パパ下手くそでまっすぐ切れないよ」
「じゃ、オレが押さえててあげるよ」
「サンキュー! よし、もういちど」
親子で力を合わせてノコギリを引くが、やはり曲がってしまう。
「うーん。こりゃノコギリが悪い! 竹用のを買いに行こう!」
ということで、作業を中断しホームセンターへ。
「よーし、まっすぐ切れたぞ!」
ニューノコギリをゲットして、ようやくまっすぐ竹を切れるようになった僕。あとはひたすら竹を輪切りにしていく。
「オレにも切らせて!」
チビもノコギリに挑戦する。もちろんまっすぐは切れないが、頑張って最後まで切り落とす。
「スゲーじゃん!」
輪切りをたくさんつくったら……もうおしまい!
僕がつくっていたのは竹の積み木。さすがにぜんぶ丸いと面白くないから、いくつかは半分に割ってバリエーションを増やす。
「ほれ、何がつくれる?」
できたてほやほやの竹の積み木をチビに渡すとそれなりに考えて「お城!」とか言ってそれらしいものをつくっている。チビはそのうち切り損じた竹の切れ端を並べてそこにビー玉を転がして入れる遊びを思いついた。床にセロハンテープを貼って、そこに得点を書き込んで。次に、節があって積み木にはならない切れ端は「カブトムシのエサ入れにしよう!」 と言う。名案だ。
さらに、僕が竹の切りくずを集めて捨てようとしていると、チビがその手を止めた。
「待って! それちょうだい!」
「えっ? 何に使うの?」
「泥ダンゴにふりかけて、きなこもちにするの」
「そりゃ、面白いこと考えたねぇ!」
知育おもちゃだ! なんて思って竹の積み木をつくってみたけど、チビの創造力は積み木をつくったときに出た廃材をも利用し尽くしてみせた。僕はよくガラクタでおもちゃをつくってあげていた。そのせいか、チビもよくガラクタでおもちゃをつくる。ダンボールやお菓子の箱をセロハンテープでベタベタ貼り合わせて、クレヨンで色をつけただけのものだけど。そういう発想をすること自体が僕にはうれしい。絵の描き方や、ピアノを弾くことは技術として教えることができるけど、こういう発想力、創造力、ものの見方は単純に教えることはできない。そういう力こそ、親が教えるべき力ではないかな。
やんちゃボウズだけど、ちゃんと成長しているじゃん。感慨にふけりながらチビと遊んでいると、ママ登場!
「それ、あなたの仕事部屋に置いておいてくださいよ!」 とにらみをきかす。「これ以上子ども部屋が散らかったら困ります!」 だって。そ、そんな、ひどい。せっかくつくったのに……。
仕事のはかどらない暑い夜。パパはひとり寂しく仕事部屋で竹の積み木を積み上げている。「知育、知育、創造力、ブツブツブツ……」
手間をかけた工作のほうが上等だと大人は思いがちなんですけど、こういうシンプルな工作もいいですね! 私、なかなかいい仕事もしていたんだなと、いまになってふりかえって思いました。
教育ジャーナリスト。「こどもが“パパ〜!”っていつでも抱きついてくれる期間なんてほんの数年。いま、こどもと一緒にいられなかったら一生後悔する」と株式会社リクルートを脱サラ。独立後、数々の育児・教育誌のデスクや監修を務め、現在は、子育て、教育、受験、進学、家族のパートナーシップなどについて、取材・執筆・講演活動を行う。『勇者たちの中学受験』『ルポ名門校』『不登校でも学べる』など著書は約80冊。