似たような話では、今から5年前の2018年、文部科学省がメルカリなど大手フリマ業者に対し、宿題完成品の出品禁止を要請。各社がこれに合意しました。このような対応が必要なくらい、宿題代行サービスが広く認知、利用されているということです。
こうしたツールやサービスの利用者は、子どもではなく親御さんです。生成AIはいくつかありますが、どれも年齢制限があったり、保護者の利用許可が必要だったりします。宿題代行サービスも、料金を支払うのは親御さんです。つまり、これらを利用する親御さんは、子どもに「学校の宿題をやらなくてよい」と判断しているということですね。
宿題は「自分の力でやるべき」と考える方が一般的だと思いますが、「やらなくてよい」と判断した人たちには、どのような背景があるのでしょうか。そして、利用することにどのような問題点があるのでしょうか。
ハードな受験勉強と学校の宿題に疲弊する子どもたち
これらの背景は、中学や高校受験に向けた塾の勉強のために、学校の宿題に時間を使いたくないということが多いようです。ハードな受験勉強に時間を追われている中、学校の宿題までこなすとなると、子どもはかなり疲弊してしまいます。できることならばやりたい、しかし時間的にどうしても両立が無理となり、取捨選択の結果として、受験勉強を優先するということです。
仕事と家事・育児の両立が大変という状況で、料理にスーパーの総菜・冷凍食品を使うことや家事代行サービスを利用するのと近い感覚かもしれません。
また、学校の宿題は、担任の先生によって多かったり少なかったりとかなりの差があります。さらには、「学校の休み時間に塾の宿題をやること」を認めてくれる先生と禁止する先生がいますし、自分でやることを決めて行う「自主学習」という名の宿題として、塾の勉強をすることを認めてくれる先生と認めてくれない先生がいます。
この差は、学校単位どころか、それこそ同じ小学校内でも、隣のクラスの先生同士で対応が違うことも。そうなると、「不公平だ! こんなハンデ戦で受験を勝負するなんて納得できない」と考える親御さんや受験生がいても不思議ではありません。
学校から指導もなく、家庭に“丸投げ”される読書感想文や自由研究
また、学校の宿題に意義が見いだせていないという背景もあります。例えば、すでに塾で学習した内容をドリルで大量にやらされたり、漢字を何十回と書き取りさせられたり、なんの指導もなく読書感想文や自由研究を丸投げされたりといったケースです。できることをもう1度学習するよりも、まだ習得が不十分なものを勉強したいと考えるのは、理にかなっています。また、漢字を覚えるために何度も書いて練習をすることには、学習効果がないことが教育心理学の研究結果で確認されています(例外的に効果がある場合もありますが、本筋からそれるので詳述は控えます)。
読書感想文と自由研究も、やり方の指導もなく家庭に丸投げでは、学習効果などあるはずもありません。
かくいう筆者は、現在、教育関係の本や論文を読んで、自分の指導経験とからめて記事を書く仕事をしており、言うなれば、商品として売れるレベルの読書感想文を書いているわけです。しかし、小学生から高校生の頃までは読書感想文が大の苦手で、先生が根負けするまで提出せずに粘ったこともしばしばあります。書けるようになった理由は、大人になって起業してからブログを投稿するようになり、書き方を調べて学んだからです。少し調べたらすぐに書けるようになったのに、子どもの頃はずっと苦手だったわけですから、「学校の先生から何も教えてもらえてなかったんだな」と当時を振り返って思います。
自由研究も同様、テーマ選びや取り組み方を教えてもらったことはありません。筆者の経営する塾の教え子たちの話を聞いても、状況は現代でもほぼ変わらないようです。それでは何もできずに子どもが困るのも当然です。
「学校の宿題をやらない」という選択をするときの注意点
生成AIツールや宿題代行サービスを頼るにしろ、正面切って宿題を未提出にするにしろ、「学校の宿題をやらない」という選択をする家庭には、こういった背景があるようです。少なからず共感する部分がある親御さんも多いのではないでしょうか。とはいえ、学校の宿題をやらないことには抵抗を感じる方は多いはず。そこにはやはり問題点もあるからです。それは、子どもが「やりたくないことはやらなくていい」という間違った価値観を身に付けてしまう可能性があるということ。
勉強は、子どもに無理をさせるものであってはいけません。ですから、やるべきことが多すぎてやりきれないときには、優先順位を付けて「やらないことを決める」のは大切なことです。この「取捨選択」は、大人になっても必要になりますし、子どもに身に付けさせたい能力といえます。
しかしその際、子ども自身にも状況を把握させた上で価値判断と意思決定に関わらせないと、そうした能力は育たず、単に「学校の宿題はやらなくてもいいものだ」ということだけを認識してしまいます。受験勉強を優先することにより、こういう考え方を身に付けてしまうと、合格して進学した後に「学校の宿題は大事だからちゃんとやりなさい」と言っても、子どもは聞く耳を持ちません。
さらには、子どもによくありがちですが、自分にとって都合のよい部分だけを切り取って考えるようになってしまうと、より一層大きな問題になります。学校の先生は、「学校の宿題がちゃんとできないなら、塾の宿題はやらなくていい」と言っている。お母さんは、「塾の宿題が優先だから、学校の宿題はやらなくていい」と言っている。
つまり「どっちの宿題もやらなくていいものなんだ!」といった具合です。
「不適切な宿題」が出たとき、子ども自身に考えさせたいこと
学校と塾、両方の宿題を全てこなすのが難しいときには、無理をして心身の健康に支障が出ては本末転倒ですから、どちらかを諦める必要が出てきます。どちらを諦めるにしろ、その経験を通じて、子どもの価値観と判断力を養いたいものですし、決めたことに対して、胸を張ってほしいものではないでしょうか。
そのためにまず考えるべきことは、「宿題とは何のためにやるのか」という目的です。昭和の時代であれば、「やりたくないことでも、我慢してできるようになるため」という精神鍛錬の意味もあったかもしれませんが、令和の時代には当てはまりません。
宿題とはシンプルに「自分が成長するための訓練」です。その目的から考えたときに、成長のために必要なものから選択していったら、どういう順になるかを話し合ってみましょう。
そして次に考えるべきことは、宿題を一方的にボイコットして未提出にしたり、ツールやサービスを使ってだましたりする以外に、解決策はないのかということです。
たしかに、世の中には、話が通じない「モンスター○○」といわれる人たちがいて、そういう人たちは“相手にしない”ということも、子どもには教えておきたいことかもしれません。しかし、そうしたことは、最後の手段にしておいた方がよいのではないかと思います。
大勢の生徒に一律に出される宿題であれば、自分の成長につながらない“不適切な宿題”が出ることは、学校でも塾でも起こりえます。そうしたときにはまず、「自分には必要がないから、やらなくてよいか」「自分にとってより必要なのは、こちらだから替えてもよいか」と先生に相談してみる方が適切な対応ではないでしょうか。筆者も1人の指導者として、生徒がそういう相談をしてきてくれたら話を聞きたいし、その通りだと感じたら応じたいと思います。何より、自分にとって必要なことを主体的に考えてくれたらとてもうれしいです。
そうしたステップを踏むこと、つまりちゃんと価値観に基づいて提案することをした上でならば、話が通じない、価値観が合わないとなった場合に、“相手にしない”という選択にも胸を張れるのではないかと思います。
宿題の取捨選択にいたる過程を大事にしよう
そもそも親御さんが「学校の宿題をやらなくてよい」と判断するケースは、残念ながらわが子の担任は話が通じない「モンスターティーチャー」だったというケースなのかもしれません。しかし、子ども自身に考えさせることをせず、学校の宿題をやらなくてよいという親御さんの判断だけを伝えると、子どもに間違った価値観を身に付けさせてしまう危険性があります。
宿題をやらないことが、ただ単に「怠ける」とか「やりたくないことから逃げる」といったことではなく、「適切かつ必要な取捨選択」であることが子どもにも理解できるようにしてあげましょう。そのためには、その結論に至る過程を大事にしてください。