現役時代はフランスリーグ得点王に輝き、ブラジルW杯ではアルジェリア代表を率いて同国初の決勝トーナメント進出に導くなど、知将として知られるサッカー指導者・ハリルホジッチ。チームづくり、指示出しなど、どのように行い、成果を出しているのだろうか。
ハリルホジッチが仕事で使う「三種の神器」とは
――監督という仕事は、情報の整理や選手へ意思を伝えることが重要だと思いますが、どのような工夫をしていますか?
こだわっていることとして、指示出しでも、
―― 最近はタブレットを使う指導者も見かけるので、意外です。
私のビジネス鞄には常に、いろいろな種類のペンを入れていて、合宿や試合の時にはポスト・イット イーゼルパッド(立てかけられる台紙付きのメモパッド。以下 イーゼルパッド)を利用して指示を出しています。ほかにも、いつもポケットサイズのメモ(ポスト・イット 強粘着モバイルメモ)やA4サイズのノートを持ち歩き、オフィスにはポスト・イット ノートを置いて、使っています。
A4サイズのノートには、すべてのミーティングの情報を書き留めています。遠征の際は、移動の方法やスケジュール、練習時間といったことも書いています。
対戦相手を分析し、気になる情報をメモします。試合に向けてミーティングも多いのですが、私自身がスタッフに何を話し、何を指示したかということもすべてメモします。
――ポスト・イット ノートはどのように使うのですか?
今日1日何をするかなどをメモして、オフィスの壁に貼ります。一目見て、視覚的に忘れないようにするためにです。そのタスクが終わったら剥がして捨てられるので、便利です。指導者として、1日にやらなければいけない仕事がたくさんありますので、やらなければならないものや重要なことに関しては赤、そこまで緊急ではないものは黄色、青と使い分けていますね。
貼る位置も、優先順位が高いものは壁の高い位置に貼ります。
たとえば、日本サッカー協会会長、我々の一番のボスですね。会長に呼ばれたということは何か悪いことがあるということですから(笑)、本当に、高い位置に貼ります。優先順位は低いけれど赤い紙に書いてあるから忘れてはいけないな、といったことも、すぐに分かります。
私にはパソコンを使う習慣がないことも理由にありますが、パソコンは電源を入れてデータを探しに行かないといけません。探しに行かなくていい手書きのメモは便利なのです。
ゆっくりと書いたり、勢いよく書くことでスピード感も伝えられる
――大判のイーゼルパッドはどのように使っているのでしょうか?
イーゼルパッドには戦術説明やトレーニングの説明のほか、合宿メニューなどを書いています。
たとえば合宿の1日の流れも、しっかりオーガナイズされたものであり、起床時間や朝食、ミーティング、トレーニングの時間などを示しています。これは食堂やマッサージルームにも貼ってあり、選手はいつでも見られるように携帯電話で撮影して把握しています。
――戦術説明にはどのように使うのですか?
たとえば、このようにコートがあって、青が我々のチームで、赤が相手。
こうやって相手の出方、たとえば対戦相手である左サイドバックはこういう風に走ってくる傾向があるといった話をします。そして選手には何をすべきかをペンで書きながら説明。身振り手振りに加えて、この紙にも矢印などの書き込みが増えて動いていきます。あえてゆっくりと書いたり、勢いよく書くことでスピード感なども伝えられます。これはパソコンではなかなか伝わりにくいと思っています。
何枚にもつづってあるので、紙をめくって、守備の時や攻撃の時、フリーキックの時といったように場面ごとの戦略や指示を細かく書き込んで説明しています。
トレーニングの練習を伝える時は、たとえば3、4つのグループに選手を分けるので、それぞれ黒、赤、青、緑という感じで色を分けて書いています。ですから、私はたくさんの色のペンを持ち歩いています。相手選手の姿を描くときは太いペン、他の指示に関しては細いペンといったように見せ方によって伝わり方が違うので、様々な色や太さを用意しています。
良い準備をしてきたか、試合後に振り返られる
――ハリルホジッチさんは先ほど、しゃべったことまで細かくメモするとおっしゃっていましたが、その理由は。
選手やスタッフとのコミュニケーションが大事ですから、
その内容をメモしておけば、5、6年後にもう一度思い出して「5年前にこんなことを話したよね」ということも選手に伝えられます。こういったこともできるので、ノートに書き込むやり方が私にとっては有効なのです。
試合に向けて準備してきたこともメモしておき、結果を出したら、それは良い準備をしてきたのだと振り返ることができます。私は絶対に負けたくないですが、万が一負けたとしたら、その場合も振り返らなければなりません。敗因が「よい準備をしてこなかったこと」かもしれませんので、手書きのメモを常に見直すようにしています。
ロッカールームで使える時間は5分 ポイントを絞るために
――試合中にもメモを使うのでしょうか?
試合中にはポケットサイズのメモを使います。実際には私ではなく、アシスタントコーチが使っているのですが、試合中に気づいたこと、注意しないといけないことをアシスタントコーチに伝えてメモしてもらっています。もう一人、別のスタッフがスタジアムの上から俯瞰して試合の様子をメモしています。それらのメモをハーフタイムに見直して、選手に伝えるべきことなどを整理します。
ハーフタイムのロッカールームで選手に伝えられる時間は5~6分しかありません。選手にはメッセージを短く、正確に伝えなければなりません。ですから、ものすごくポイントを絞らなければなりません。ロッカールームでは選手が静かになるのを待ち、選手が静かになった時にしゃべり始めます。そして、イーゼルパッドでも手書きで感情もしっかりと込めたメッセージを伝えています。
オフィスで働く人には、それぞれのやり方があると思います。人によってはパソコンでメモした方が速い人もいるでしょう。ただ、私の仕事は、その瞬間、瞬間が大事なので、最も反応を直接的に受け取れるメモを活用しています。
「私だけの筆跡」には感情も入る
――メモを活用し始めたのはいつ頃なのでしょうか。別の方法を採用してみようといったことはないのでしょうか。
選手をやめて指導者になってから、メモの活用や手書きを活用したコミュニケーションを使うようになり、そうした習慣で来ていることが大きいです。一番使いやすいと思っています。
手書きで選手に伝えるということも、サッカーコートを書いて、選手に見せながら説明できるので手軽です。話して伝える時に、人間の機能として目を見ると伝わりやすい。しかしパソコンを使うと、選手に背中を向けなければならない時間が増えるでしょう。選手もパソコンの画面やプレゼンテーションを見てしまう。私が身振り手振りや紙を使って見せることで、選手の理解しやすい状態を作っています。
意図的に、言葉一つを、感情をこめて書くこともあります。これは私だけの筆跡であり、感情も入ります。そうすればダイレクトに選手に伝わります。
たとえば、「ビクトリー」という言葉を残す時。絶対に勝たなければならない試合の際はビクトリーと本当に大きく、10mぐらいの大きさで書いてもいいくらいかもしれません(笑)。
強豪との一戦では得点を決める「決定的なチャンス」はおそらくほとんどないでしょう。ただ、私は監督ですから絶対に負けたくないです。負けたら病気になってしまいます(笑)。そのような厳しい場面の時は、スピーチをしながら、「勇気」という言葉を目の前に書いて見せることもあると思います。紙での情報伝達をものすごく大事にしています。
選手時代は自分がプレーすることしか考えていませんでした。しかし、指導者、特に監督という仕事はもっと複雑な仕事だと思います。いろいろな義務もあります。チーム全体のこと、サッカーにかかわるすべてのことを考えなければなりません。ただ、脳のキャパシティには限界があります。ですから、ノートにはかなりの情報を書き留め、常に見直して考えています。
視覚的に心理に働きかける
選手の心理に働きかけるような工夫も、紙ならできます。
たとえば、戦術説明でサッカーコートと、青で我々のチーム、赤で対戦相手をイーゼルパッドに書いています。そのとき、私は青を紙の上の方に書きます。それは、私たちが、相手を上から下すということ、相手より我々が勝っているということを視覚的に伝えるんです。これは心理的な仕掛けです。我々は相手に引いてはいけない。そういった戦いがこのイーゼルパッドの上で始まっています。これもパソコンではできないことです。
私は選手にたくさんのことをしゃべらなければいけません。フットボールのことだけではない内容もあります。集団心理に働きかけるような会話も準備しています。
たとえば、日本の選手は優しく、対戦相手をリスペクトしすぎている選手もいます。日本の社会というのは純粋で、正直であるということが大事です。ただ、全世界でなにが起きているかというと、正直者ではない国が多いわけです。グランド上は戦争です。我々はよくméchant(メシャン)という言葉を使うのですが、この意味は荒々しく、ずる賢く、意地悪な状態を作るという意味です。海外の監督と話した時に、日本人選手は優しくて、少し体をぶつけるようなプレーをすると怖くて地面に転がるという印象を持たれていたんですね。しかし、そう思わせてはいけません。そうしたメッセージを書いたりジェスチャーを加えたりしながら選手にわからせるという作業が大事になってきます。
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インタビューで「ハリル流仕事術」を再現するハリルホジッチ氏の語り口からはサッカーにかける情熱とユーモラスな人柄があふれていた。一方、一つ一つの仕事への姿勢、たとえば選手への伝達をとっても、緻密で冷静な計算があり、そこに知将と言われる理由を感じた。彼が指導・指揮するチームが闘う時、その裏側にある指示や準備に思いめぐらせながら試合を見守るのも、楽しみの一つになりそうだ。
(撮影:泉 三郎)
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