2018年『中学聖日記』でデビューした岡田健史が刑事役を演じた『MIU404』。彼の演技には視聴者の心にまっすぐ届く清々しさがある。その演技は俳優という膜を破り、ひとりの青年として私たちの目に映りこむから不思議だ。
余分なものゼロ、無添加の演技が気持ちよく映る
新人刑事といえば熱血で空回りしやすいとか、協調性がなく単独行動が多いとか、ステレオタイプのキャラクターが目立つものだが、野木亜紀子の脚本がそれをするはずがない。今回であれば、岡田健史が演じた九重世人は、父親が刑事局長というキャリア刑事でありながら、父親に対する反骨精神をむき出すことも、幅を利かせて暴走することもないわけだが、面白みがない存在かと言えばそれは全く違う。
SNSを駆使できる現代っ子が、やがて疎い世代とどう向き合うべきかを理解し貢献していく様子や、苦悩しながら責務への熱い想いをきちんと口にする彼の姿勢は新鮮で、その演技は回を重ねるごとに熱を増し、私たちを引き込んだ。
彼の演技を観ていると不要なアピールがない。あるのは、「活躍したい」ではなく「役に立ちたい」だ。伝わってくるまっすぐな思いに心が洗われていく感覚と、九重世人というひとりの青年を先入観なしで観ている心地よさにニヤニヤしたことを覚えている。
第9話での、自分が取り逃がした少年を救出後、自らの犯罪を告白する彼に「全部聞く」と答えた九重の姿に、誰にもマネできない圧倒的な清涼感と視聴者を引きつける絶対的なものを感じた人も多いことだろう。
岡田健史をひとりの青年として全世代が注目している
ドラマは時折、視聴者の「観たい」を勘違いしてしまうことがある。視聴者は超スリムな美青年やキラキラの王子様の登場を、いつも待ち望んでいるわけではない。そういう意味でも岡田健史の存在は貴重だ。和服も似合う、元野球部のガッシリとした体型と顔立ち、斜めに足を組んで座ることもなく、奇抜なファッションで若者文化を主張することもない、つまりアクがない骨太な青年が今、目の前で俳優として羽ばたこうとしているのだ。
泣いたり笑ったり表情豊かだが、誇張もなく人工的なものがないため、視聴者はつい身近な存在としてとらえてしまう。これもまた彼の強みである。おそらく彼をまだ知らないお父さんたちも「一緒に仕事をしてみたい若者だ」と思うに違いない。「このまま染まることなく」と全世代が祈るように見守ってしまう俳優・岡田健史は、ある意味不思議な存在とも言えるだろう。
いつかこんな役を演じてほしいと誰もが夢を膨らませる
さらに不思議なのは、誰もが彼にこんな役を演じてほしいと、つい想いをめぐらせてしまうこと、そしてその想いがどれも「たしかに」と納得できることだ。大河ドラマ『晴天を衝け』への出演はすでに決まっているが、将来は社会派、経済、アクションといったジャンルでも彼を観たいと思う。また、金田一耕助を演じるかもしれないし、財前五郎を演じるかもしれない。何を想像しても「ちょっと違うかも」と感じないことにも驚いている。なぜだろう。
奇抜なファッションや確立された演技論で攻める俳優は、それだけでイメージが固まり俳優としての広がりが限定されてしまうことが時にある。相当実力がないと、自由な雰囲気が、もったいないことになりがちだが、何ものにも染まっていないのに、足元が安定している岡田健史には未知の可能性を感じることができるのだろう。
間もなく公開される映画『ドクター・デスの遺産ーBLACK FILE-』では刑事役を『新解釈・三国志』では皇帝・孫権を演じ、ミステリーにコメディと確実に幅を広げている。『劇場版 奥様は、取り扱い注意』や『望み』といった注目作の公開も続き、大きな飛躍を見せてくれるはずだ。期待したい。