日本感染症学会が「日本は第2波のまっただ中にいる」と発表するなど、なかなか収束を見せないコロナ禍。今後「第3波」「第4波」が来ることも予想され、以前のような生活に戻るにはまだまだ時間がかかるとも言われています。暑い中でもマスクを外せず、気軽に飲み行くこともできない状態の中、上司のパワハラにあいストレスMAX状態。爆発寸前になっている女性もいるようで……。
快適すぎたテレワーク。もう元の自分には戻れない!?
神奈川県にお住まいの川田有紀さん(仮名・39歳)は、今まさに、これまで長く続けてきた仕事を辞めるつもりで、周囲への根回し作業に入っているといいます。
「私の直属の上司は40代前半の女性なんですが、とにかくヒステリックで、いわゆるパワハラタイプなんです。独身だし英語ができるしで、会社側は重宝しているようなのですが、私たち部下からみたらサイテーとしか言いようのない人なんですよ。コロナ騒動の前までは、それでも我慢できていたのですが、もう耐えられなくて」
4月中旬からテレワークになったことで上司の顔を見る機会が減り、パワハラにあうこともなく快適に仕事をすることができたという有紀さん。緊急事態宣言が解除され、7月上旬からこれまで通り会社に通うことになりましたが、快適な生活を2ヶ月以上送ってしまったがために、どうにもこうにも、上司のパワハラが許せなくなってしまったのだといいます。
「思えば、朝から晩まで続く上司のヒステリーを聞かずに済むし、わけの分からない嫌味に耐える必要もない、そんな生活が快適すぎたんですよね(笑)。それと、コロナ前までは同僚たちと飲みに行ったりカラオケで熱唱したりしてストレスを発散し、なんとかモチベーションを高めていたんですが、コロナのせいでそれもできなくなってしまって。ここまで我慢しながら仕事する必要ある? 私たちは上司のために生きてるわけじゃないのに?って。考えれば考えるほどイライラしてきてしまって……」
パワハラの内容は、まさに無理難題
有紀さんが上司から受けたというパワハラは、いったいどのようなものだったのでしょうか。
「よくキレられるのは、帰宅時間について。会社側から、コロナ禍の間はなるべく定時で帰るよう指示されているので、業務をそれまでに終わらせて帰るようにしているのですが、週に2~3度、上司の仕事が遅くなることがあるんです。それには理由があって、スケジュールに書いてないのに“打合せ”と称して出かけて2~3時間戻ってこなかったり、ちょっと疲れたと言って空いている会議室で仮眠をとったり。要は自業自得なのに、部下である私たちが帰ろうとすると『私の仕事が終わってないことが見て分からないの? 上司がまだ仕事をしているのに、先に帰るなんてありえないでしょ!』って怒鳴り散らすんです。
他にも、上司が気に入っている外注を使わないと、ネチネチグチグチと嫌味三昧。その外注さん、実はそこまで仕事ができる人じゃなくて成果がイマイチなので、できれば使いたくないっていうのが私や同僚たちの間で一致している意見なんです。だけど独身で顔が良い(笑)。上司は本気で気に入ってる……というか狙っているみたいなんですが、そんなこと私たちには何の関係もないじゃないですか」
また、コロナ禍で打合せのほとんどがオンラインになり、くだんの外注さんと会う機会が減ったことも上司のパワハラをさらに強烈なものにしたといいます。それも有紀さんが会社を辞める決意をした理由のひとつなのだとか。
「このご時世、簡単な打合せはオンラインにするのは当たり前じゃないですか。なんなら電話でいいんじゃ?って思うくらいなのですが、上司は『打ち合わせなのに顔も合わせないなんて!』とブツブツ。上司のさらに上の立場の部長が見かねて『こういうご時世だから、オンラインでいいでしょ』と言ってくれたのですが、それでもしつこく『私が若い頃は、熱があろうが打ち合わせをしてた! 今の子は軟弱すぎる!』って喚くんですよ?」
お盆休みも電話の嵐。出ないと嫌みが始まり……
「私の会社ではお盆休みを順番に取ることが通例で、私がいちばん最初に休みをもらったんです。でも、毎日のように上司から電話がかかってくるので3日目はさすがにイラついて電話に出ずにいたら家電話にまでかけてきたんです。仕方なく電話に出たら、一方的に文句を言われて……もう、こんな上司には付き合っていられないと思いました。
もしもコロナ禍がなかったら、この先も我慢して働くことができたかもしれませんが……新型コロナで仕事に対するモチベーションも、これからの人生設計も、すべてが変わった気がします」
ストレスは免疫力を著しく低下させることもあるため、コロナ禍の今はできるだけストレスをためずにいたいもの。そう考えれば、無理に仕事にしがみつくことは、感染リスクを高めることにつながると言えるでしょう。本当に退職届を出すかは有紀さんの心ひとつですが、彼女の選択が後悔のないものであることを祈るばかりです。