球春目前に去った、プロ野球史上最高の名将
春季キャンプも中盤に差し掛かった2月11日、プロ野球史上に残る名将、野村克也が虚血性心不全のため、84歳でこの世を去りました。
「ノムさん」の愛称で知られた野村は、現役引退後にはヤクルト、阪神、楽天と3球団の監督を歴任。就任前は弱小チームだったヤクルトではデータを最大限に活用した「ID野球」を駆使して4度のリーグ優勝、3度の日本一に導きました。楽天監督時代には田中将大の育成に尽力、2009年には球団史上初となるAクラス入り&クライマックスシリーズに出場。稀代の名将として名を馳せました。
監督としての偉業ばかりが目立つ野村ですが、現役時代、南海ホークスの捕手としての活躍も球史に名を残しています。そんな野村克也の現役時代の偉業について改めて振り返ってみましょう。
偉業その1:シーズン史上最多本塁打記録達成(1963年)
テストを経て南海ホークスへ入団したように、プロ入り当初は決して期待されていたとは言い難かった野村克也。しかし、プロ入り3年目の1956年から正捕手へと定着すると、翌57年には自身初タイトルとなる本塁打王を獲得しました。その後も強打のスラッガーとしてリーグを代表する打者へと成長を遂げますが、最初にクローズアップされたのはプロ入り10年目となる1963年。
この年の野村は例年以上に打撃成績が好調で、本塁打を量産。残り14試合で前年に記録した44本に並ぶと、10月の14試合だけでさらに8本を追加して52本塁打をマークしました。1950年に小鶴誠が記録したシーズン最多本塁打51本を超える新記録を打ち立て、見事にシーズンMVPに輝いています。
ちなみにこのシーズン本塁打記録は翌1964年に55本塁打を放った王貞治に更新されてしまいましたが、パ・リーグでは2001年にローズ(近鉄)が更新するまで38年間最高記録でした。
偉業その2:戦後初の三冠王達成(1965年)
打者としてのピークとなったのが30歳を迎えたのが1965年。この年の野村はライバルチーム、阪急の主砲であるスペンサーと打撃部門では一騎打ちとなり、打率、本塁打ともに上位を争っていました。最終的にスペンサーがシーズン終盤に故障離脱したことでライバルがいなくなり、さらに成績を伸ばして打率は.320、42本塁打、110打点をマーク。プロ野球史上2人目、そして戦後としては初となる三冠王に輝きました。
ちなみに打力が求められないイメージが強い捕手としての三冠王獲得はこれ以降表れず、いまだにプロ野球史上唯一の記録。野村の大打者ぶりがよくわかる記録となりました。
偉業その3:歴代最多のオールスター出場(1980年)
長年「長嶋(茂雄)や王(貞治)がヒマワリなら、俺は月見草」と語ってきた野村克也。注目度の低いパ・リーグで現役生活を全うし、人気球団の巨人には常に敵役となっていた自身を花に例えて評していました。しかし、人気選手しか出られないオールスターゲームに、野村はレギュラー定着2年目となった1957年から南海最終年の1977年まで連続してファン投票で選出。この時点で、ファン投票の選出回数、連続選出回数ともに自身が「ヒマワリ」と称したスター選手、王貞治と並ぶ歴代最多記録となりました。
さらに現役最終年の1980年には監督推薦によって通算21回目のオールスター出場。野村は史上最多のオールスター出場記録を達成しました。これは2019年シーズン終了時点で未だに破られていません。
偉業その4:前人未到の3000試合出場(1980年)
南海ホークスの主力打者として長年君臨していた野村克也ですが、1977年に南海を退団後、年齢的な衰えを隠せなくなってきます。かつてのような打撃成績は望めなくなり、監督就任を固辞したことで1978年には移籍してきたロッテを退団。当時誕生したばかりの西武ライオンズへと移籍することになります。
当時の西武は若い選手が多いチームだったので、レギュラーとしての起用というよりも若手の手本としての獲得で、出場試合数は2年間で126試合。中でも現役最終年となった1980年はレギュラー定着以降最低となる52試合78打席の出場に終わりました。
しかし、この年の8月1日の試合で野村は前人未到となる通算3000試合出場を達成。長年ケガなく一線級でプレーできたことのあかしとも言える大記録で、改めて野村の偉大さを感じさせました。最終的に3017試合まで出場。2015年に谷繫元信に抜かれるまで35年間更新されることはありませんでした。
記録にも記憶にも残るノムさんよ、永遠なれ!
いかがでしたか? 現役時代から超一流選手として名を馳せ、監督でも一時代を築いた野村克也。そんな彼の指導を受けた監督が、今季のプロ野球界には12球団中6チームにいます。野村イズムは確実に現在のプロ野球に残っていると言えるでしょう。今後のプロ野球界に野村の記録を破るような大選手が現れることを心待ちにしましょう。