昨年の大晦日に放送された『第70回NHK紅白歌合戦』で、1989年にお亡くなりになった美空ひばりさんがAI仕立てで“出場”──ステージ上の大階段の上に設置された巨大モニターに、白いドレスを着た美空さんが登場し、秋元康氏が作詞・プロデュースした新曲『あれから』を熱唱したことが、一部で物議をかもしていると聞きます。

絶賛の一方で、否定的な意見も

同曲のメモリアル映像では、北野武さんや指原莉乃さんらが出演。

「美空さんの最高傑作かと思うくらい、いい歌」(北野武)
 

「今は近くにいない人を思って聴くと、涙が出ちゃうんじゃないかな」(指原莉乃)

……と、絶賛のコメントを寄せておりましたが、いっぽうで「否」の意見も少なからずあるようで……。そのおおよその論調とは、以下のようなものでした。
 

「お金の面で権利関係はどうなるのか?」
 

「アーティストをこういう形で再消費するのは正しいのか?」
 

「故人への冒涜」
 

「美空ひばりの歌声はあんな平淡なものではない」
 

「過去の歌ならまだしも、新曲を歌わせるのは、もはや美空ひばりではない」
 

「故人がAI技術で復元されると、いつまでもそれに依存してしまう可能性がある。有名人がAIで再現されて、高額な商品を売りつけるようなビジネスもありえる」

さて。皆さまはどうお感じになりましたか? 
 

アーティストの再消費? 故人への冒涜?

ことAIに我々人類が抱く、シンギュラリティ(※人工知能が人間の知能を超える技術的特異点のこと。一説には2045年にその転換期が到来するともいわれています)に対するある種の畏怖にも近い心情、アレルギーは理解できなくもないのですけど、ぼく個人の見解を述べさせていただくなら、そこまでヒステリックな反応を示さんでも、ちょっと神経質になりすぎなのでは……って気はしました。
 

まず、権利関係について。とりあえず、今回の美空ひばりさんAI化プランに関しては「遺族やレコード会社の許可を得ている」そうなので、現状はそれだけでかまわないのでは? 今後「著名人のAI化」が頻繁かつ高品質化すればするほど、さまざまな問題が生じてくるケースも予測できますが、逆の見方をすれば「どんなたぐいの問題が生じてくるのか、今日(こんにち)では予測もつかない」わけで、だったら考えてもムダ……実際に問題が生じたごとにその一つ一つを潰していけばよいのです。
 

「AIによるアーティストの再消費」「故人への冒涜」といった発想に到っても、正直ぼくはあまりピンときません。AIなる、まだ発展途上にある、近未来的には“人類の概念”すら根底から変えてしまう可能性を秘めたテクノロジーの研究に、その圧倒的な知名度と伝説性をもって、ポピュラリティーなかたちで参加できる“故人”とは、むしろ幸せなのではないでしょうか。
 

「ホンモノと比較したら歌声が平淡すぎる」のだって、先にも申しましたが、AIはまだ発展途上の段階なので、仮にそんな違和感があったなら、それはそれでしょうがない。個人的には、わりと「ホンモノに近づいていた」印象を受けましたけどね……? ちなみに、一応ぼくはCDもリリースしたことがあるジャズミュージシャンです(笑)。
 

では、「過去の歌を再現するならまだしも、新曲を歌わせるとは、なにごとか!」といった物言いはどうなんでしょう? 過去の映像と声を緻密に“再生”するだけなら、それは単なる超精巧にできた音響機器とCGグラフィックとのコラボに過ぎません。仮に、美空さんのビジュアルが3D、もしくはアンドロイド的な実体を持ったロボットになったとしても同じこと。AIとは「ロボット自体」ではなく、あくまで「ロボットの脳」に当たるわけで、コンピュータによる複雑な「機械学習」によって、“新しいなにか”が生み出されなければ、このご時世においてはほとんど意味がないのです。たとえば、現在も美空さんが生きていたとすれば、どのように声量が衰え、それをどう積み重ねてきたテクニックでカバーするのか……などを機械学習によってシミュレートするように。
 

最後の、AIの進化に伴う二次的な弊害、危険性についてですが、ホンの数カ月前、なにかのネットニュースで、イマドキの高校生による「僕はロボットが誰でもできる仕事を代わりにやってくれる時代が来るんだから、超ラッキーだと思ってます」みたいな発言を目にしました。ぼくもAIへの向き合い方は、これくらいに楽観的であっても、まだしばらくは大丈夫じゃないかと思います。
 

以上、素人が偉そうなAI論をブチまけてしまい、まことに申し訳ございませんでしたm(_ _)m