実はあの選手が記録保持者!? 夏の甲子園大会ビックリ個人記録集

令和最初の甲子園大会がついに開幕。各校の戦況を見るのはもちろんですが、気になるのが選手たちのプレー。高校野球の最高峰とも言える大会だけに後のスター選手たちは様々な記録を残してきました。そんな選手たちの個人記録に迫ってみましょう。

後のプロ野球選手たちが残した、偉大な記録とは?

高校野球の大一番にして、夏の風物詩とも言える甲子園大会がいよいよ開幕。令和最初の大会となる今大会も例年のように盛り上がりを見せることでしょう。

そこで過去の夏の甲子園大会で選手たちが記録した個人記録に注目。後のスター選手はもちろん、意外な人が大記録を成し遂げているものも……!
 

努力の賜物!3年間で成し遂げた記録

数々の伝説を残しているKKコンビ、桑田真澄と清原和博(PL学園)(写真:岡沢克郎/アフロ)


▼最多勝利投手
吉田正男(中京商)14勝(1931年~1933年)
桑田真澄(PL学園)14勝(1983年~1985年)


両者ともに3年連続で甲子園の地を踏み、エースとして活躍した大投手。吉田正男はプロ入りこそ果たせませんでしたが、中京商を夏の甲子園3連覇という大記録に導きました。

名門PL学園のエースとして君臨した桑田真澄は1年時の準決勝で夏春連覇を果たした池田商(徳島)と対戦。水野雄仁との投げ合いを制して、PL学園の名を天下にとどろかせました。

▼最多本塁打
清原和博(PL学園)9本(1983年~1985年)


未だに甲子園史上最高のスラッガーと呼び声高い清原和博がダントツの本塁打数を記録。学年別で見ると、高校3年時に当時の最多記録となる5本塁打を放ったことで知られていますが、実は1年時はわずか1本塁打のみと抑え込まれていました。その1本塁打は決勝の横浜商戦でのもの。やはりここ一番での勝負強さは当時からその片鱗を見せていました。
 

1球入魂!1大会で作られた記録

▼最多奪三振
板東英二(徳島商)83奪三振(1958年)


いまやタレントとしての活躍が印象深い板東英二ですが、高校時代はなんと徳島商のエースとして大活躍。この大会では準々決勝までに32奪三振をマークしました。

これだけでもすごいのですが、続く魚津高戦では延長18回をひとりで投げ抜いて25三振を奪ったものの、打線が振るわず結果的に引き分け。翌日の再試合では肩痛を訴えながらも9つの三振を獲って勝利して当時の記録64奪三振をラクラク更新しました。最終的には準優勝で幕を閉じましたが、83奪三振は未だに破られていない大記録です。

ちなみに板東は高校卒業後に中日ドラゴンズへ入団。主に抑え投手として活躍し、現役11年間で通算77勝を挙げる活躍を収めました。

▼最多本塁打
中村奨成(広陵)6本塁打(2017年)

2017年、夏の甲子園で奮闘する中村奨成(写真:岡沢克郎/アフロ)


記憶に新しい2年前の大会で達成したのは広陵の正捕手を務めた中村奨成。グリップを高く掲げて構えるフォームから長打を連発し、気が付けば準決勝までに4本塁打を放ちました。清原和博の持つ記録(5本塁打)の更新が掛かった準決勝の対天理戦では先制となる2ランで並ぶと、第3打席でセンターへアーチを描き、見事に記録更新を果たしました。

ちなみに中村は本塁打だけでなく、最多打点(17打点)、最多安打タイ(19安打)記録も同時に達成しています。高校卒業後は地元の広島カープにドラフト1位で入団。今季2年目で一軍デビューはまだ果たせていませんが、未来の正捕手として期待されています。
 

瞬発力がすごい?1試合内での記録

▼最多奪三振(9イニングまで)
松井裕樹(桐光)22奪三振(2012年 対今治西戦)


楽天のクローザーとして活躍している松井裕樹が注目されたのは高校2年時。プロ入り後も大きな武器となっているスライダーが抜群に切れて、今治西の打者は三振の山を築き、22奪三振や10人連続三振という圧巻の奪三振ショーを演じました。

当然、松井は3年時にはさらなる成長が期待されましたが、残念ながら神奈川県大会の準々決勝で敗退。その無念をプロで晴らすことになりました。

▼最多本塁打
清原和博(PL学園)3本塁打(1984年対享栄戦)
平田良介(大阪桐蔭)3本塁打(2005年対東北戦)


通算最多本塁打記録の保持者である清原和博がここでも名を連ねました。特筆すべきはこの本塁打は2年時に記録したもの。この大会でPL学園はまさかの準優勝に終わりましたが、清原の長打力は遺憾なく発揮されました。

そして21年後となる2005年には同じ大阪代表の大阪桐蔭のスラッガー、平田良介が準々決勝の東北戦で清原の大記録に並びました。清原の時代には甲子園球場にラッキーゾーンが存在しましたが、それがない中での達成は大きな話題となりました。

▼最多打点
須田努(常総学院)8打点(1988年対小浜戦)
筒香嘉智(横浜)8打点(2008年対聖光学院戦)


この項目で登場した中で唯一プロ入りしなかった常総学院の須田努。昭和最後の大会となった88年の甲子園大会では1回戦の対小浜戦で2本塁打8打点の大活躍でチームの勝利に貢献。チームメイトには後に巨人などでプレーした仁志敏久がいるので、覚えているオールドファンも多いのではないでしょうか?

そして現在のDeNAの主砲、筒香嘉智もこの大記録を2年時に達成。準々決勝の対聖光学院戦で満塁本塁打を含む8打点をマークして、チームのベスト4入りに大きく貢献しました。
 

令和最初の甲子園から大記録は生まれるか!?

いかがでしたか? 現役選手たちも多く名を連ねる中で、意外な大記録を持つ人物までいるなど改めて甲子園の歴史を感じさせる内容になりました。令和最初の夏、甲子園でどんな大記録が生まれるか楽しみにしてみましょう。

※学校名は当時のまま

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