名投手たちが目白押しだった平成

新元号「令和」も発表され、平成の月日も残すところあとわずか。そんなプロ野球界にとって、平成はメジャー移籍のルートも整えられ、素晴らしい投手たちが多数誕生した時代でもありました。そこで平成元年以降にプロ入りした選手たちの中でも、語り継ぐべき投手たちをまとめてみました。
 

平成史を彩った名投手その1:野茂英雄(平成2年~平成20年)

メジャー2年目の頃、当時ロサンゼルス・ドジャースの野茂英雄(写真:アフロ)

投球フォームは投手によって様々ですが、その中でもダントツの個性を放ったのが野茂英雄。「トルネード投法」と呼ばれる腰をねじって投げるフォームから繰り出すストレートとフォークボールで三振を量産し、プロ入り1年目の平成2年から4年連続で最多勝&最多奪三振のタイトルを獲得しました。平成7年にはロサンゼルス・ドジャースへと移籍して、村上雅則以来、日本人史上2人目のメジャーリーガーとなりました。

移籍した後も野茂は自身の代名詞であるトルネード投法を武器にメジャーリーガーを相手に勝ち星を積み重ね、メジャー12年間で123勝をマーク。いつしかロサンゼルスには「NOMOマニア」と呼ばれる熱狂的なファンまで生まれました。
 

平成史を彩った名投手その2:佐々木主浩(平成2年~平成17年)

平成に入ってからのプロ野球はリリーフ投手の価値が上昇。その立役者となったのが佐々木主浩です。プロ入り2年目の平成3年にリリーフに定着すると、代名詞となったフォークボールで打者を惑わせました。

いつしかその風貌から「ハマの大魔神」というニックネームが定着。平成10年にはプロ野球史上初となるシーズン40セーブ超えを達成し、横浜ベイスターズを38年ぶりの日本一に導きました。

平成12年にはシアトル・マリナーズへ移籍してメジャーリーガーに。大柄なメジャーの打者たちを相手にしても佐々木の投球は変わらず、日米通算で381セーブを記録しています。

平成史を彩った名投手その3:松坂大輔(平成11年~)

平成を象徴する投手と言えば、松坂大輔もその1人。高校時代から圧倒的な投球を見せ、平成10年には在籍していた横浜高校で甲子園春夏連覇を達成し、“平成の怪物”として、プロ入り前から騒がれていました。平成11年に西武ライオンズへ入団すると、1年目からいきなり16勝を挙げて最多勝のタイトルを獲得。プロの世界でも大活躍を見せました。

また、平成18年から始まったWBCでも松坂は抜群の存在感を発揮して、これまでにMVPを2回獲得。その後は故障に見舞われて精彩を欠いていましたが、中日に移籍した昨季は6勝を挙げてカムバック賞を受賞。平成の怪物は未だ健在です。
 

平成史を彩った名投手その4:田中将大(平成19年~)

分業制が進んだ平成のプロ野球界では先発投手の記録はどうしても古い時代のものばかりとなってしまいますが、そうした傾向に一矢報いたのが田中将大。駒大苫小牧時代からプロのスカウトを唸らせた実力の持ち主で、楽天に入団してからも先発投手としてチームの中心選手になっていきました。

平成25年シーズン、田中は開幕から連戦連勝で、気が付けば8月9日の試合までに開幕から16連勝というプロ野球新記録を更新。最終的にこの連勝記録は24にまで伸ばしました。田中の活躍で在籍していた楽天はこの年、平成17年に新設されて以来初の日本一を達成。有終の美を飾って、翌年にニューヨーク・ヤンキースへ移籍し、現在も主力選手として活躍中です。
 

平成史を彩った名投手その5:大谷翔平(平成25年~)

田中将大が連戦連勝のシーズンを送った平成25年にデビューしたのが、大谷翔平。プロ野球史上初と言ってもいい投手と野手の二刀流選手として話題になりました。

高校時代の大谷は直球の球速は最速160キロを誇るだけでなく、高校通算56本塁打を放つなど投打で活躍。平成24年時のドラフト会議で指名した日本ハムの栗山英樹監督はメジャー志向の強かった大谷を口説き落とすべく、球団とともに二刀流選手としての育成プランを掲示し、大谷もその熱意にこたえる形で入団を決意しました。

プロ入り2年目の平成26年にはプロ野球史上初となる2ケタ勝利&2桁本塁打を記録。その2年後にはさらに進化を遂げて、2桁勝利&100安打&20本塁打を達成してチームを日本一に導きました。平成30年からは念願のメジャー移籍を果たしましたが、そこでも大谷は二刀流の選手として、今度は全米の野球ファンたちの度肝を抜いています。
 

令和時代にはどんな投手が現れる!?

プロ野球の歴史が変わったとも言える平成。5月1日から新元号・令和となる日本。果たして令和の時代にはどんな名投手が誕生するのでしょうか?