いくつになっても母親との関係に苦しむ娘は少なくない。結婚して自立したはずなのに、またもや「モヤモヤ」が再燃してきているというリサさん(42歳)に話を聞いた。
もともと"いい関係"ではなかったけれど
「周りから見ると、母と娘で仲がよくていいわねと言われていたけど、それを喜んでいるのは母だけ。私は母をうっとうしいと思っていました。だけど、こちらが強く出れば母が引くこともあるので、なんとか大きな揉めごとにはならずにすんできた。いつでも軽い束縛と、重い心理的な寄りかかりがあったのは確か。ただ、虐待とまではいえないだけに、切るに切れないつらさはありました」
リサさんが結婚したのは29歳のとき。1年後に第一子を、その2年後に第二子を生んだ。頼んでもいないのに母親が手伝いに来たが、ラクなのでつい頼りにする部分もあった。
「小さい子をふたり抱えての共働きは大変だから、どうしても保育園のお迎えを母に託したりするところもあって。夫はサービス業なので、夜が遅いんです。なかなか家事育児を分担とはいかなかった。そこを埋めてくれたのが母だった」
だが、母親は、まるで自分が孫たちを育てているといわんばかりに正義感をかざしてくるようになった。
「ずっと細かいバトルは続いていましたよ。お菓子を食べさせすぎるなとか、絵本は別のにしてとか。私は視野の広い子に育てたいと思っています。世の中にはいろいろな人がいて、いろいろな考え方がある。それを小さいときからわかってほしい。だけど母は、『正しければいい。間違った意見を言う人は排斥していい』という価値観。どうして自分が正しいと言えるのか根拠はない。そういう価値観が私はイヤでたまらなかった」
最大のバトルが起こって以来、冷戦状態に
上の子が小学校に入ってすぐ、最大のバトルがやってきた。学校で起こったいじめ問題だ。大きなトラブルにはならずにすんだが、それを機会に、リサさんは夫と協力し、「人を差別しない、いじめない」ということに関して子どもたちにことあるごとに言って聞かせるようにした。ところがある日、子どもが、「先生の言うことを聞かない子は学校に来なくていいんだよ」と言うようになった。
「母の入れ知恵です。先生にとっていい子、親にとっていい子だけが許される世の中は怖い。だからといって子どもに先生の言うことを聞かなくていいとも言えない。このあたりがキモだなと思いましたね」
何が問題か自分で考える子であってほしい。世の中の「善悪」は、誰にとっての善悪なのかも含めて、今はわからなくても自分で考えられる素地を作りたい。リサさんはそう思った。
「だから母に、よけいな価値観は吹き込むなと言ったんです。しばらく家に来ないでほしい、と。ここで母と距離を置かなかったら、私と同様、母の価値観を正義だと思う子になってしまう。私は結婚してからようやく、ずっと疑っていた母の価値観から抜けられたけど、それはけっこう苦しいことだったんです。子どもたちには、小さいときから自由で民主的な考え方をしてほしい。そう願っていました」
そのためには母の「呪縛」があってはならないのだ。だが母は大激怒、「誰のおかげで子育てできたと思ってるのよ」と泣き叫んだ。
「そのときわかったんです。母自身が寂しい人だったんだ、と。両親は仲が悪かったから、母はひとりっ子の私に心理的に頼らざるを得なかったんでしょう。でももうけっこう。母は母の道を歩んでくださいという気持ちでした」
夜中に母親がドアをドンドン叩いて、家に入り込んできたこともある。リサさんは、ずっと我慢してきた不満が爆発、母親に「ずっとアンタが嫌いだった」と爆弾のような言葉を投げつけてしまった。
「母はショックのあまり入院してしまいました。かわいそうだと思ったけど、これ以上、私と私の子どもたちを母の毒牙にかけたくなかった。夫には『やりすぎだよ』と言われましたが」
その後すぐ、リサさん一家は夫の転勤で遠方へ。お正月さえ帰ってこなかったが、半年ほど前、また実家から30分程度の場所に戻ってきた。
「さてこれからどうつきあおうかと考えています。つかず離れずのつきあい方ができればいいんですが、あの母にそういう感覚がわかるかどうか。子どもは自分の言うことを聞くべきだと思い込んでいる人ですから」
結局、親子関係でのわだかまりはいくつになってもつきまとう。リサさんがすっきりと「つかず離れず」の関係をもてる日は来るのだろうか。