人は自分の経験を誰かに伝えたいと思うもの。それが「子をもった娘」に干渉したくなる母親の実感なのかもしれない。悪気はない。だからよけいに「うっとうしい」のだが……。
私を支配したがる母と、いったんは離れたものの
ユウミさん(40歳)は、小さいころから母親に支配されていると感じながら育った。それは社会人になってからも続いたという。
「着ていく服、ヘアスタイル、何から何まで口を出す。社会人になってからも、『今日はどんなことをしてきたの』。夕飯はいらないというと『誰とどこで食べるの? 早く帰ってきなさいよ』って、もううるさくてしかたがなかった。一つ反論すると百言い返されて、あげく泣いたり騒いだりするので完全にスルーしていました」
早く結婚して家を出たい。そう思い続けて28歳で結婚。相手が転勤族だったから、これで母親と離れられるとうれしかったという。首都圏で生まれ育った彼女だが結婚してすぐ、関西へ。その後は九州、北陸と転々とする。
「私はある資格をもっているので、行く先々でなんとか仕事も見つかるんです。年に数回しか会わないと母親とも諍いを起こさなくてすむ。これで母からの脱却を果たせたと思っていました」
36歳、結婚して8年目でようやく子宝に恵まれた。ここから母親との関係がまた変わっていった。
どこへでも追いかけてくる母
「父は昔から社交的な人だったから、定年になっても仲間と一緒に遊んだり仕事をしたり。でも母は視野も行動も狭いんです。私の下に弟がいたんですが、弟は大学から遠方にいっていたし、あからさまに母をうっとうしがっていたので、結局、母は私を支配し続けた」
東京から2時間ほどの土地で、ユウミさんは出産。地域や友人の助けを借りながら子育てをやっていけると思ったものの、母親が押しかけてきた。
「第一声が、『こういうときこそ私の出番よ。私がいないとあなたはダメなんだから』って。もう、そのひと言で怒り心頭でしたけど、出産後すぐだったから人手があるのはありがたいし、怒ることで心身ともに疲れますからね。夫が『しばらくいてもらえばいいよ』と言ってくれたので、つい自分を甘やかしてしまった」
2カ月ほどで帰ってもらったが、その後、また転勤すると、そこへも母はやってきた。遠いから一晩や二晩で帰れとも言いづらい。
「自分の家のような顔をしてまた数カ月居座って。親が来てくれたのに、『いつまでいるんだろう』と思ってしまう自分がイヤな人間のような気もしてくるんですよね。だけど母親は自分が一家の主婦のようにふるまって、私を支配してくる。だんだんストレスがたまって、私はおかしくなっていきました」
父親に連絡をとるも、父も妻の不在を喜んでいる様子。自分が追い返したら母がかわいそうかもしれないと彼女は思ってしまったという。
「拒みたいのに受け入れざるを得ない。受け入れないと自分がイヤな女になった気がするから。そしてそんな状況を作っている母にひたすら憎悪が増していく。悪循環です」
子どもが3歳になったころ、彼女はついに叫んだ。もう来ないで、私を放っておいて、と。その後すぐ、父のもとへ帰った母は倒れた。
「脳梗塞でした。その後、再度、脳梗塞を起こして今はほぼ寝たきりで入院しています。認知症も併発しているので、私のこともわからないみたい。あのとき私が追い返したからだとずっと後悔しています。その一方で、いつまで私をそうやって支配し続けるのかと考えると気が重くもなるんです」
どうしたらいいかわからないといった表情でユウミさんは語った。母と娘の確執は、どうがんばってもお互いに納得した上で解決していくことはできないのだろうか。