打ち明けられたら

今回、このテーマでの執筆を依頼されたときに感じたのは、「これがテーマとなること自体、やはり打ち明ける方も、打ち明けられる方にも壁がある」「だからこそ、このようなテーマでの執筆を依頼されたのだ」ということでした。そして、その壁の存在自体にも、私はとまどいを感じました。なぜなら、ここずっと、感じていない感覚だったからです。
 

LGBTが生きやすい国、オランダでは?

私は、現在オランダに住んでいます。まもなく10年を迎えようとしています。その日々の中で、他者との違いを、“異”ととるか、“個”と取るかが、大きく変わったように思います。オランダ人は、あらゆることに寛容でオープンだと言われていますが、住んでみてそれを実感しています。外国人として住んでいることで特別視されることもありませんし、特別扱いされることもありません。「日本人、だから?」と“異”に対する壁がないのです。LGBTに関してもそうです。オランダといえば、世界で始めて同性婚が認められた国。さらには、アメリカの調査で「LGBTが生きやすい国ランキング1位」にも選ばれています。
 

実際に、私が住んでいるマンションにもLGBTのカップルがいますし、我が子がお世話になっている学校の先生方の中にも何人もいます。だからといって、そのことが話題になるわけでもありません。たとえば、「あの人は日本人だ」「あの人は左利きだ」「あの人は金髪だ」のような、変えようのない、選びようのない事実と同様、「そうなんだ」と受け止めているので、特別に話題にすることがないのです。
 

この部分、日本とオランダでは、大きく違うと思います。そしてこの背景には、日本人と欧米人のメンタリティーの違いが関係していると私は考えています。
 

日本の「和」の文化が、ときに……

心理学の研究で、日本人と欧米人は、自己観の捉え方が違うことが分かっています。日本人は、「相互協調的自己観」、欧米人は、「相互独立的自己観」。日本人は、他者となじんでいる、上手くやっていると感じると、「自分は価値ある人間だ」と見なす傾向があります。和の文化です。一方、欧米の人は、自分の特色や「らしさ」に自己の価値を見出します。よって、欧米人にとっては、他者との違いが「自分らしさ」になるのに、日本人にとっては、それが逆に不安や劣等感の原因になってしまうのです。


「和」の文化は、先の震災のときなどには、ものすごいパワーを生み出し、復旧、復興への支えになりましたが、ときにネガティブな方向へと転ぶことがあります。「偏見」や「いじめ」はその典型です。日本人は、「和」を強調するあまり、そこになじもうと無理もするし、外れた人をのけ者にしようとしがちです。集団行動を好むあまりに、違いを受け入れるのが苦手になってしまっているところがあると言えます。それゆえ、「友達にLGBTと打ち明けられたら」ということがあえて取り上げられるのでしょう。
 

今の日本で望ましい対応は?

  • 打ち明けてくれたことに対する感謝を伝えること
  • 打ち明けられたことを、他の人に口外しないこと


これらが最低限心がけたい点なのではと思います。まだまだオープンではない日本の現状で、この人ならと思って打ち明けている思いを、軽んじるような行動は慎みたいものです。ただ、実際に目指すのは、そこではなく、そもそもこのようなことを不安に思ったり、心配したりしなくていい社会だと思います。オランダでも、ずっと前から今のような状態ではなかったようです。LGBTの権利を主張する団体が設立されたのが第二次大戦直後の1946年、そして、同性婚を認める法律が発行されたのが2001年と、まさに今日の社会は、オランダ人が歴史の中で変えてきたものなのです。意識することで、見方や捉え方は変えることができるのです。


私は普段、子供の心理を取り扱っていますが、悩みの根源は非常に似ていると思います。自分が人と違う、人が自分と違う、それを、「異見」とするから、仲間外れ、いじめ、偏見につながり、嫉妬、不安、怒りなどの負の感情が生まれてしまいます。「異見」とせずに、「意見」と捉えられれば、それぞれの違いが色味となり、どれほどお互いが楽になるかと思うのです。そうなれば、「友達にLGBTと打ち明けられたら」というトピックもわざわざ語られなくなるのではないでしょうか。