若いチームにギリギリまで追い詰められた日本代表
プレーした選手も、ハリルホジッチ監督も、観戦したファンも、誰ひとりとして納得できるものではなかっただろう。3月23日にベルギーで行われたサッカー日本代表のマリ戦である。
結果は1-1のドローゲームだったが、マリはアフリカ予選で敗れてW杯出場を逃している。しかも、日本戦に招集されたメンバーは平均年齢が22.7歳だった。対して日本は27.1歳である。
若くて経験の少ないチームに、日本はギリギリまで追い詰められた。敗色濃厚の93分にようやく、どうにかして、ゴールをこじ開けることができた。
新戦力の活躍で、試合内容の核心をぼかしてはいけない
終了間際の同点弾はドラマティックだ。試合内容の核心を、良くも悪くもぼかしてしまう。ましてや得点者は、今回が初招集の中島翔哉だった。日本代表の救世主との表現も使われる23歳がいきなり結果を残したことで、W杯への希望がつながったとの見方が漂うかもしれない。
しかし、舞台が違っていれば生まれていなかった得点ではないか。後半のアディショナルタイムが4分もあったのは、ベルギー人の主審による心配りだった気がしてならない。
チームとしての機能性は低かった
マリ戦はテストの色合いが濃かった。ケガなどの理由で香川真司、岡崎慎司、吉田麻也、酒井宏樹らがチームに合流できず、W杯最終予選で結果を残した浅野拓磨と井手口陽介も招集を見送られた。世代交代を促してきたふたりではあったが、クラブでの出場機会が少ないことが理由だった。
ハリルホジッチ監督にしてみれば、テストの幅が当初の予定よりも広がった印象だろう。それにしても、チームとしての機能性は低かったと言わざるを得ない。
W杯の初戦は6月19日だ。テスト的な選手起用があったとしても、チームの〈幹〉がくっきり見えていなければいけない時期である。ここで言う〈幹〉とは、問題の解決方法に置き換えることができる。「こうなったこうする」といった約束事がいまだに徹底されていない、徹底されているとしてもピッチで表現できていないのは、明らかな不安材料である。
過去のW杯イヤーの「3月」はどう過ごしていたか
4年前のこの時期はどうだったか。国立競技場が建て替えられる前の最後の試合との位置づけで、2014年3月にホームでニュージーランドと対戦した。「ありがとう国立競技場」のキャッチフレーズがつけられた一戦は、目前に迫るブラジルW杯への強化の雰囲気に乏しく、4-2という結果が持つ意味が問われることもなかった。W杯に出場しない相手に2失点したことが、問題提起につながらなかった。
さらに遡って2010年の南アフリカW杯前の3月には、バーレーンとホームで対戦した。11年1月開幕のアジアカップの予選が組み込まれたためで、W杯を想定したマッチメイクは叶わなかった。ロシアのCSKAモスクワへ移籍したばかりの本田圭佑が、攻撃の核に成り得ることを示したのが唯一の収穫と言っていい一戦だった(なお、この時は2-0で勝利している)。
今回のマリ戦はより実戦的な強化ができた?
過去2度のW杯イヤーの3月に比べれば、今回のマリ戦はより実戦的な強化と言うことはできる。W杯の第2戦で激突するセネガルと同じアフリカ勢だからだが、チームのクオリティも個のレベルもセネガルには及ばない。
その相手とギリギリの攻防を演じてしまった現実は、日本がベストメンバーでなかったとしても重く受け止めるべきである。「個」の不足を補う「組織」がこの時期にしてなお成熟していないことが、明らかになってしまったからだ。
ハリルホジッチ監督の指示に、選手が忠実過ぎるところはあった。選手の自主性は求めたいところだが、W杯直前のこの時期に自分を出すのは難しい。
果たして打開策はあるのか。ハリルホジッチ監督は「W杯に向けてやることはすべて。すべてをトレーニングしないといけない」と強調する。しかし、27日のウクライナ戦の結果次第では、チームの方向性そのものを変える必要に迫られるかもしれない。