神戸製鋼所、日産、SUBARU…なぜ次々発覚?

2017年もあと残すところわずかとなりました。企業マネジメントの立場から今年を振り返える時、やはり触れておかないといけないのは日本を代表する企業で相次いだ、不正処理、数値改ざん、無資格審査等の不祥事問題でしょう。

日産と神戸製鋼所


神戸製鋼所、日産自動車、SUBARU、三菱マテリアル、東レ……、世界に冠たる日本を代表する大手企業で次々と、「取引先企業や一般消費者を裏切る」と表現されるような不正が発覚しました。どのケースでもほぼ一様に分かったことは、不正そのものがかなり古くからおこなわれており、ある意味で不祥事の根本原因が企業風土にも直結するような根深いものであったということでした。
 

ではなぜ、このような超優良企業とも言える大手企業群で同じような不祥事が延々おこなわれてきたのでしょうか。私はこの点について、高度成長の時代から日本の発展を支えてきた技術系企業におけるある種の宿命ではないのか、と思っています。
 

日本の発展を支えてきた技術系企業の宿命?

日本は第二次世界大戦敗戦の焼け野原から、真面目で几帳面な国民性に支えられた技術力を持った企業が牽引し、高度成長期という目覚しい復興の時代を経て今に至っています。今回問題となった企業がどこも、そんな日本の高度成長期を支えてきた企業たちである点もまた、単なる偶然ではないでしょう。
 

今回の不祥事は、そんな彼らが法には触れないものの本来守るべく定められた業界基準等や自主基準を守っていなかったということが問題視されたものです。ただここで注目して欲しいのは、どの事例においても結果的に最終製品における事故や欠陥は発生していない、実害を被った被害者はいないという事実です。もちろん、基準を下回ったからすぐに事故や欠陥が発生したのでは、基準そのものに問題があるということにもなるのでしょうが、一方でこれはモノづくり日本特有のレベルの高い品質管理に救われたとも言えるのです。その背景にあるのは、ある時期を境とした我が国モノづくりにおける外部環境の変化です。
 

急激な国際化で変わった「品質管理の見える化」

事の発端は、90年代後半からの新たな潮流でした。東京市場の急激な国際化の流れの中で外圧によるグローバルスタンダード化の名の下、正確な日本語訳もなされぬままコンプライアンス、ガバナンスと言った言葉が一人歩きし、「品質管理の見える化」のような新たな基準がモノづくり現場の王道を占めていったのです。この流れが、我が国製造業に脈々と流れる国民性を「悪用」するような流れに追い込んでいきました。この点は、今回問題になった大企業での不祥事が「20年来続いていた」という報道と符合する点でもあります。
 

この几帳面で真面目な性格の下での「品質管理の見える化」は過剰品質管理につながりつつも、そこに絶妙なバランスで救いの手を差しのべていたのが、もうひとつのメイド・イン・ジャパンの特徴でもある職人技や「匠」の精神であったと考えられます。そうです、マニュアルや数値に決して縛られない勘所や肌合いで絶妙の判断を下すやり方もまた脈々と受け継がれ、グローバル化の流れとは対局に位置しつつもメイド・イン・ジャパンの誇りをかろうじて保ってきていたのです。
 

「違反」ではあるが失って欲しくない大切な「文化」も見えた

グローバル化とローカリゼーション、二つの流れのバランスが、大手製造業で長年にわたって被害者を生まない範囲でのケース・バイ・ケースでの基準外運用や、無資格点検等を可能にしたと言えるのです。もちろん、これらの運用はルール上か言えば明らかな「違反」であり、その点で責めを負うべきものであることは十分理解できます。しかし、長年被害者を出さずに基準外運用を可能にしてきた日本的複合管理は、我が国製造業における技術発展を陰で支えてきた、他国には決して真似のできない、同時に決して失って欲しくない大切な我が国文化でもあると、個人的には思うのです。
 

さらに言えば、90年代末期、実業界において声高に叫ばれたグローバルスタンダードは、所詮はアメリカンスタンダードに過ぎず、アジアン・スタンダードやジャパニーズ・スタンダードにも認められてしかるべき部分があり、それらの複合の中でこそ本来あるべき国際化や国際競争ははかられていくべきものではないのかと、思うところでもあります。
 

一連の不祥事を新たな発展のヒントに

高度成長を支えてきた多くの大手企業を襲った今年の不祥事件は、単に責めに帰すのみで終わらせることなく、反省すべきはしつつも日本的な良さを生かしたジャパニーズ・スタンダードも踏まえた運用の再構築という方向で、新しい年の幕開けに向かって欲しいと思っています。直近では2020年の東京五輪に向け、長くは21世紀日本のモノづくりの基本スタンスとして、国際化とローカリゼーションの複眼的な観点を忘れずに、本年一連の不祥事を新たな発展のヒントにして欲しいと願っています。